勧業館の買い物より、麻生路郎『川柳漫談』(弘文社、一九二九年)。麻生についてネットで調べてみると以下のようなことであった(要約)。
麻生路郎(あそうじろう、本名=幸二郎、1888〜1965年))は広島県尾道市生まれ。少年期に家族とともに大阪に移り住む。大阪高等商業学校予科に入学し、新聞へ投句し川柳作りを始める。卒業後、新聞記者・病院事務・喫茶店等数々の職業を転々とした。大正初期には「川柳」という呼称を用いず「新短歌」で押し通した。『土団子』『後の葉柳』といった川柳誌を発刊。他の“詩川柳派”と呼ばれる人々と共に川柳近代化を推し進める。大正13年『川柳雑誌』(現在川柳塔)を創刊、主幹となり、川柳人協会を創立。自身の川柳観を「句はその人の心であり、十七音字はその人の姿であり、リズムはその人の呼吸である」と語っている。
『川柳漫談』の中では大正十一年に大阪日々新聞に連載された「一ト昔前の大阪見物」が断然おもしろい。喫茶店関係でも、《パウリスタが平倒つて攝陽銀行の莚囲ひになつたなんざア、ざまア見ろと云ひたくなる》とか《八千代座などの中にパウリスタやタコエーや等のカフエーが介在して純然たる松島の千日前をなしてゐる》または《堂々たるパウリスタが蕎麦屋にならうが、銀行にならうがそんなことには頓着をせず昔の儘の姿を見せてゐる。「京與」は腐つても矢張り鯛である》とパウリスタの名が出ていて参考になった。また、風変わりな古本屋も登場する。
《戎橋の停留所の處に、見るも汚ならしい古本屋がある。それが貧乏神と云ふ古本屋だ》《「小雨は半休、大雨来るときは休業」と塗り板に書いてある。/店のすぐ横手に貧乏神が祭つてある。》
その貧乏神のご神体というのは古本屋の主人が、大工からもらった大富豪・光村藻祐の家の床柱を自分で彫った像で、そのデッサンは戸張孤雁がやってくれたと主人は言うのである。その貧乏神をいろんな人が拝みにやって来る。どうして貧乏神など拝むのかというと、
「うちへ来とうくンなはんなやと云ふて拝んでンね」
だそうである、なるほど。表紙の絵は吉岡鳥平。
Mさんより本日も古本メールあり。
《結局今日も勧業館。最終日、一袋500円でもあったらなあ。でも、『詩人の設計図』大岡信ユリイカ刊1000円カバーがクレエで表紙はダリ。残していただき有難うございます。何とか納得しました。》
おめでとうございます!