
田中美穂編『胞子文学名作選』(港の人、二〇一三年九月二三日、ブックデザイン=吉岡秀典)。本の装幀などをやっていると、必ずこういう本を作ってみたくなるときがある。しかしたいていは予算や著者の反応などを慮って結局はそこそこ大人しい仕上がりでまとめてしまう。そういう意味からすれば、この造本は相当に気張った仕上がりである。それは間違いない。ただそれが成功しているのかどうか、意見が分かれるかもしれない。意見が分かれるのはいい仕事だとも言えなくはない。

レイアウトは凝り過ぎている。対して、内容は安易といえば安易である。アンソロジーなどというものは所詮安易な企画だ。しかし、そこに腕の見せ所がある。何をどう選ぶかに全てがかかっているわけだ。その点では蟲文庫・田中美穂さんが選んだ胞子文学アンソロジーはさすが苔好き古書店主と思わせるものがある。
やはり唸ったのは「幽閉」だ。井伏鱒二「山椒魚」のプロトタイプ。同人雑誌『世紀』に掲載されたこの作品を読んだ中学生の太宰治はこの人に師事すると決めた。田中さんの解説によれば、
《井伏鱒二の生家近くに、訪れる人のあまり多くはないひっそりとした渓谷があります。》《ここを訪れると、かならず思い出すのがこの「幽閉」。名作としてひろく知られる「山椒魚」の原形となった井伏鱒二の処女作で、学生時代、郷里への帰省中に書かれたといわれています。山椒魚が出るに出られなくなった岩屋のそのわずかな隙間の外にひろがる景色は、おそらくこの場所がモデルではないかと思うのです。
作中にある「岩屋の天井にぎっしりとくっついている、杉苔とぜに苔」という光景は、実際にはありえません。苔は光合成が必要な植物なので、日の光のとどかない環境で生活してゆくことはできないのです。でも、その苔についての描写はとても細やか。ここでは「苔の実」と書かれている胞子体の柄が静かに伸び、やがて「花粉」(胞子)を散らしてゆく、ひそやかでドラマチックなさまは、当の山椒魚の憂鬱を横目に、ついうっとりと繰り返し読んでしまいます。》
ということである。井伏はスタート時点から大嘘つきだった。見事な嘘つきだ。一方、井伏を天才だと見て取った太宰からは「魚服記」が選ばれている。つげ義春の「紅い花」を連想させる(むろん逆なのですが)短篇である。これがまた欄外註記のように小文字で組まれていてはなはだ読み難く心憎い。
千変万化の版面からしてどの作品が読みやすいというわけでもないが、《古今比類ない胞子文学》の金字塔、尾崎翠「第七官界彷徨」はふつうに読めるように配慮されている。これは有り難かった。「第七官界彷徨」を読もうとずっと思いながら、どうしてもその気になれず逃していたので、こんな瑞々しい少女マンガのような作品だったとはびっくり。初出は昭和六年。なんとも摩訶不思議な時代だったようだ。
アンソロジーでなければ出会わない作品もある、ということである。
港の人 『胞子文学名作選』
http://www.minatonohito.jp/products/141_01.html