
フィンセント・ファン・ゴッホ「積み上げられたフランス小説」(一八八七年、ゴッホ美術館蔵)。パリ時代のゴッホをテーマにした展覧会に出ていた作品。本あるいは古本を描いた絵というのは昔からあった。ただし、それは、人物の持ち物、あるいは書斎の飾り、静物の中の構成要素などであって、本だけを描いた絵というのは案外と少ないものである。
その数少ない例外をゴッホが何点か描いている。ゴッホは読書家だったし、日記を見れば分かるように文章にも執念を見せていた。本を描いても不思議はない。ただ、ゴッホのこの構図を初めて目にしたとき、ちょっと異常な感じを受けた。乱雑に取散らかったテーブルのようなものの上の多数の本。実際に彼のパリの下宿がこうだった、というよりも、絵を描くために故意に乱雑に並べた、そのように思えたのだ。これもひとえにゴッホの幻視の力の成せる技かなあ、とこれまでは納得してきた。
ところが、この構図には先例があったのだ。先日パリから届いた荷物の中に
『Collection Fritz Lugt』(Fondation Custodia, 1994)(オランダ人の蒐集家フリッツ・リュグのコレクション・カタログ)が入っていて、何気なくめくっているとこの絵が目に飛び込んできた。

ヤン・ダーフィッツ・デ・ヘームが一六二八年に描いた「本の静物」である。右端に羽根ペンとインク壺、木組みの書架(?)も描かれてはいるものの、ほとんど画面一杯に古い書物が乱雑に積み上げられているだけの構図だ。デ・ヘームはチューリップや派手な花々と果物などをリアル(スーパーリアル)に描くオランダの画家だが、こんな仕事をしているとは知らなかった。
まず間違いなくゴッホはこの絵あるいは、この絵に類似した乱雑な書物をテーマとした作品を知っていたと思う。それを後期印象派、というよりもフォービスムの先取りのようなタッチで二百六十年後に蘇らせたのである。では、デ・ヘームはどうしてこんな構図を思いついたのだろうか? それはまた別に考えなければならないけれど、温故知新とはこういうことなのかもしれない。

そういうことで、直接の関係はないが、参考までに拙作も掲げておく。
もうひとつ、このリュグ・コレクションの図録には、ちょっとイケナイ作品も掲載されている。ルーベンス、ヴァン・ダイクあたりの素描だが、これはよろしくない。絵画などの蒐集には常につきまとうトラップである。どんなに目利きでもこれは逃れられないようだ。
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読者の方より以下の記事についてご教示いただいた。古本柄の着物があった!
蟲日記 濫読着物
http://mushi-bunko-diary.seesaa.net/article/17707703.html