
キェルケゴール『追憶の哲理』(吉田健一・堀田善衛訳、一九四八年、装幀=高橋忠弥)、これも下鴨にて。かつて、吉田健一本のなかでは見つけ難い一冊だと西村氏が教えてくれた(今「JADOB」に一冊出ている)。すでに架蔵しているが(二〇〇五年に大阪第三ビル地下で購入)、買わないわけにはいかないだろう。自分のブログを検索してみると同じ装幀の
キェルケゴール『懼れとをののき』(鬼頭英一訳、大地書房)も買っていた。
《一つの秘密を織りなしてゆくことほどに美しい憂ひはまたとあるであらうか。この秘密の愉しさの中にはえも云はれぬ魅惑がある。しかし秘密が諸君に少しでも似つかはしくないものである場合はこの愉しみは何と多くの不安を含んでゐることだらう。しかし若し実際に、一つの秘密が何の危険もなしに持ち運ぶことができ、かつ人に譲渡しうべき一つの財産の如きものになりうると信ずるならば、それは間違ひだ。何故なら、実に昔から「糧はこれを食ふものに存す」と云はれてゐるからである。そしてこの秘密から来る愉しみは、この秘密を洩らすといふ危険だけにしか諸君を曝さぬと思つたら、それも間違ひだ。何故なら秘密であることを忘れないといふ責任がついてまはるからであり、又これが人々が、事を半分しか思ひ出さず、かつその魂を傷んだ荷物の仮の溜り場にしてしまつたことに対して嫌悪をしか感じないことの理由である。他人の前にあつては、忘却は人々が自ら閉ぢる絹の幕(とばり)であり、そして思ひ出は幕のうしろに身をかくす聖らかな処女である。忘却は幕の内側にもなほ存在し、これを思ひ出すべき真の思ひ出をわずらはさなくなるまでいつまでも存在するのである。》(前言)
さすが、翻訳としてはじつに調子の良い名文だと思う。吉田の名前は出ているが、堀田が全体を訳した、その後で吉田と一緒に訳文を検討した、というふうに「あとがき」には書かれている。

『日本古書通信』1009号(二〇一三年八月一五日)にグレゴリ青山さんの漫画が載っていた。『彷書月刊』かと一瞬目を疑った。題して「京都記憶捏造古書店」……これが、笑える。扉野良人氏登場(!)。かつてこのブログでも紹介した
草木米穀店も登場。グレゴリさんの実家はこの近くだそうだ。