海文堂書店に注文していた本が届いた。店には年に何度も出向かないけれど、欲しい新刊があるときには他店では買わないで海文堂書店の店長に直接メール注文している。と言っても、それも年に数冊ていど(古本者の悪いクセで、古本になってから買おう、と思ってしまうのです)。これら二冊は閉店を知らないときに注文しておいたもの。この書皮ともサヨナラかと思うと外せなくなる。中身は読んでから紹介する(読み通せれば、の話ですが)。
『VIKING』752号(VIKING CLUB、二〇一三年八月一五日)届く。中尾務「富士正晴と『海風』同人たち 青山光二、柴野方彦との交流から」という論考が掲載されている。
富士と青山は同い年、三高の交友会誌『嶽水会雑誌』の会合で初めて会った。しかし当時は富士、野間宏、竹之内静雄の『三人』グループと青山、織田作之助、白崎礼三の『海風』のグループはあまり良い関係ではなかったらしい。『三人』の文学インテリ派と『海風』の放蕩派という肌合いの違いがあったそうだ。両方のグループと付き合った小川正巳がそのように回顧しているという。
富士と青山が親しくなるのは『白崎礼三詩集』を刊行してのこと。初顔合わせから四十年近く経っていた。
白崎礼三詩集
http://sumus.exblog.jp/10151905/
一九七一年、富士は福井県の白崎という人物が寄越した手紙をきっかけとして、若き日に面識のあった白崎礼三のことを思い出し、その詩業をなんとか世に残したいと思うようになる。そして青山に白崎の詩集がすでに出ているかどうか、問い合わせ、それを機に青山と富士が協力して、タイプ印刷でもいいから詩集としてまとめておこうという展開になるのである。
細かいことは中尾論考に譲るとして、一九七二年の初めに『白崎礼三詩集』は完成を見た。その刊行を知って連絡してきたのが、やはり『海風』の同人だった柴野方彦だった。それは七年後、「柴野方彦誄」という文章となって残されることになる。誄は「ルイ、しのびごと、死者をいたむ言葉」。
世界文学社の柴野方彦
http://sumus.exblog.jp/16095132/
驚きは、中尾論考に『白崎礼三詩集』未収録の詩一篇が引用されていること。これは高橋徹さんが発見したもので《今のところ、白崎作品中もっとも早い時期のものということになる》そうだ。さすが高橋さん。
富士と青山はいずれ本格的な白崎詩集の刊行を期待していた。しかし
《その後も、富士、青山のふたりが切望した活版印刷の白崎詩集刊行は、ならず。現在にいたるまで、白崎礼三本は、青山、富士共編のタイプ印刷詩集あるのみ。今、この詩集は古書で手に入れるほかないが、まあ、これがめったなことではお目にかかれない。》
ということで、図書館なら閲覧できるだろうと思って探してみた。京都大学教育学部図書室、京都大学人間・環境学研究科総合人間学部図書館、公益財団法人日本近代文学館、大阪府立中之島図書館、京都府立図書館が所蔵しているようだ。そうそう、出身地である福井の県立図書館にも収めれている(おそらくいずれも富士が寄贈したものと思う)。