
『謄写技法』第七号(坂本秀童、二〇一三年八月六日)、特集「ぐろりあ工房・丹羽善次の一九三〇年代」が届いた。四年ぶりの第七号である。これが、また謄写版の先達、丹羽善次(にわぜんじ)という人物を紹介した実に興味深い内容。上の写真、右端の茶色い模様の本はアテネ文庫。大きさを比較するために並べてみた。アテネ文庫はタテ15cm。
『謄写技法別輯1、ガリ版刷春本編』のご案内
http://sumus.exblog.jp/6424110/
勝手に坂本秀童子のページ(萩書房)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kosho/title/sakamoto/sakamoto.html
詳しくは本書を繙いていただくにしくはないが、丹羽善次の略歴なりと抜き書きしておこう(「
謄写印刷 Who's Who」にも名前は挙がっているが、略歴は「準備中」となっている)。
一九〇四 大阪の日本橋に生まれる。
一九二二 賀川豊彦を中心とするイエスの友会の同志として労働者伝道に熱中。
一九三〇 プロレタリア・エスペランチスト同盟に加入。
一九三一 反宗教闘争同盟に加盟。
一九三二 全協一般使用人組合関西地方支部のために活動。
一九三三 この頃まで「ぐろりあ・そさえて」に在社。妻・吉子は寿岳文章の妻・静子(しづ)の妹。静子の兄・岩橋武夫は寿岳文章の関西学院英文科の同期生であり「ライトハウス」を設立(一九三五)するなど盲人教育・福祉事業に取り組んだ。
一九三五 謄写印刷会社に三ヶ月勤務。十月一日「ぐろりあ工房」を設立(ぐろりあの名前は伊藤長蔵に許可を得て使用したという)。
一九三六 二月、逮捕。八月、出所。大阪謄写印刷業組合に参加。
一九四三 企業合同を呼びかけ、日本謄写印刷株式会社を設立。
一九四六 ぐろりあ工房再建。
一九四九 近畿謄写印刷業連合会設立。大阪謄写印刷工業協同組合の理事長に就任。救癩運動「小島の春の会」に協力し事務局をぐろりあ工房に置く。
一九五一 大阪謄写印刷業組合発足、理事長に就任。
一九五二 日本謄写印刷業協議会発足。
一九五五 全日本謄写印刷業連合会結成、副会長に選任される。
一九五九 ぐろりあ工房の業務一切を同業者に譲渡。日本ライトハウスに嘱託として勤務。七二年退職。
一九八七 自叙伝『ぐろりあ物語』発行。
一九八八 『ひとりしずか 丹羽吉子の思い出』(クリスチャン兄弟社)刊行。
以上、謄写印刷が盛んだった時代がよく分かる。なお、坂本氏が触れていない丹羽善次の著書に歌集があるようだ。国会図書館の蔵書検索で判明した(なお国会は丹羽の生年を一九〇五としている。歿年不詳)。
足音 : 歌集 / 八尾 : 書物研究社, 1983.2.
夕茜 : 歌集 / 香芝町 (奈良県) : 丹羽善次, 1989.4.
一滴 : 歌集 / 香芝町 (奈良県) : 丹羽善次, 1991.6.
哀歓 : 歌集 / 香芝 : 丹羽善次, 1992.9.
NDL-OPACによれば『ひとりしずか 丹羽吉子の思い出』の発行地も奈良県の香芝町なので(クリスチャン兄弟社は印刷業のようだ)、同一人と見て間違いないだろう。