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五百冊ばかりの本があれば…![]() 岡崎武志『蔵書の苦しみ』のなかに「「正しい読書家」とは?」と見出しのついた文章がある。「書棚には、五百冊ばかりの本があれば、それで十分というのが、吉田さんの口癖だった」(篠田一士『読書の楽しみ』)を主に引きつつ、西村孝次『休み時間の英文学』をも援用している。例えば、昭和十四年、諏訪町(新宿)に住んでいた頃の話。 《 「さて、その亭主[吉田健一のこと]の蔵書だが、それはかれの酒量と反比例を示していた。少なくとも当時はそうだった。ただ、そのなかに、ストレイチーのものだけは全部揃っていた。それが ぼくにはひどく羨ましかった」》(西村孝次) このくだりを読んでいたので、昨日の古本あさりの最中、『文藝春秋 冬の増刊 爐辺読本』(文藝春秋新社、一九五三年二月五日)をめくっていると、口絵写真「一週間の顔 金曜日」(カメラ=樋口進、似顔絵=岡部冬彦)に写し出された吉田健一の書斎が目に焼き付いた。買うしかないでしょう。 ご覧のように、真冬なのでコートをひっかけて本棚にもたれ、膝掛けをして机に向かっている。机の上には原稿用紙。たしかに本の数は少ない。酒壜は当然として吉田茂の似顔絵(清水崑?)やランドセルが本棚にひっかけてあるのも気になってくる。 篠田は五百冊説についてこういう註釈を施している。 《「本は五百冊あればというのは、ズボラか、不勉強かとは逆に、よほどの禁欲、断念のはてに実現するもので、これを実行するには、並大抵の精神のエネルギーではかなうことではない。一日に三冊もの本を読む人間を、世間では読書家というらしいが、本当のところをいえば、三度、四度と読みかえすことができる本を、一冊でも多くもっているひとこ そ、言葉の正しい意味での読書家である」 吉田健一こそ「そういうひとだった」というのだ。》 たしかに、よく読み込まれた本や雑誌が乱雑に放り込まれた本棚という感じをこの写真から受けることは間違いない。 《篠田はまた、こうも書く。 「自分の書棚には、時に応じて、自在にページをひるがえすことができる本が、五、六百冊もあれば十分、その内訳が少しずつ変ってゆくというのが、いわゆる完全な読書人な のである」 五、六百冊といえば、スチールの五段本棚にすると、三本分ほどの冊数か。しかも前後 二列にせず、すべて背が見え、いつも全貌が見渡せるのがこの数字。》 ま、吉田健一が完全な読書人かどうかはともかく、この増刊号には吉田の原稿も載っている。「宰相御曹司貧窮する」(一九五四年に同社から同名単行本が出る)。敗戦後の貧乏生活を事細かに描写したもので、読んでいるうちに(書いているうちにだろうが)だんだんと現実離れして横須賀線を転覆させて先輩文士連をあらかた始末してしまおう(そうすれば原稿依頼がこっちへ回ってくる)という妄想に発展してゆくあたりは『酒宴』など後の小説集を連想させるやや支離滅裂な内容だ。冒頭あたりにこう書かれている。 《金と縁がないといふのは金が少しも入つて来ないといふことではないので、入つて来ても直ぐなくなつてしまふといふことのやうなのである。そしてどうかすると、或る程度の纏つた金が入つてから次に又入るまでに何年もたつことがあつて、さういふ時は随分ひどいことになるものである。》 要するにパッパッパと使ってしまうがゆえの貧乏人、石川啄木や内田百閒と似たような人種である。そんな人種が大それた蔵書を蓄積するとは、少なくともこの文章を信じるなら、在り得ないことであろう。文末の方にはこう書かれている。 《教訓、貧乏はしたくないものである。爾来幾星霜、といふやうな次第で、この頃は幾ら何でも、それ程困つてはゐない。新橋の若竹に行けば、つけでいつでも飲ましてくれる。》 というような訳で、口絵写真に見るような書棚が形成されている、と考えたほうがいいように思うのだ。もちろん、いくら貧乏していても蔵書を持ちたい人は何としてでも持つ(吉田が何としてでも酒を食らうように)。吉田健一にとっては蔵書よりも酒宴の方に圧倒的な魅力があった、そういういことであろう。
by sumus_co
| 2013-08-03 21:46
| 古書日録
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