
世田谷美術館で開催中の「暮らしと美術と高島屋」展図録を頂戴した。高島屋は京都烏丸松原上西側で天保二年(一八三一)一月十日創業。創業百八十二年の記念事業として(?)世田谷美術館はじめ各所で高島屋関連の展覧会が開催されている(されていた)。
高島屋が初めて開催した美術展覧会は明治四十二年十月京都店での「現代名家百幅畫會」だった。三越はその前年十一月に「半切畫展覧会」を心斎橋の大阪店で開催して一歩先んじていたようである。昭和三十年生まれの立場で喩えれば、少年マガジンと少年サンデーのつばぜり合いみたいなもの。三越大阪支店美術部は明治四十二年創設だが、高島屋の大阪店は四十四年開設とここでも一歩遅れている。
しかも三越の初代美術部長・北村鈴菜は高島屋の京都本店が編集していた『新衣裳』という雑誌(本図録にも書影多数あり)を大阪朝日新聞の大森痴雪とともに担当していたという経歴の持ち主だったから、ある意味、仁義なき戦いだったもよう(
北村鈴菜と三越美術部については山本真紗子氏による論稿を参照)。
とにかく百貨店の扱う美術というのは、七〇年代、八〇年代の美術展ラッシュを待つまでもなく、日本の美術の流れのなかでも無視できない大きな存在であったのは確かであろう。その辺の様子も本図録を見るとよく分る。時代に応じて当代の一流作家が百貨店美術部を賑わしてきた。本図録掲載作家を参考にして簡単に言えば富岡鉄斎から元永定正まで、節操のないようで節度をわきまえた品揃え、というような気がする。
その意味では、美術館で作られる美術史と百貨店美術部で作られる美術史は共通しながらもかなりの程度で異なるわけだが、どちらかが優れて、どちらかが劣るというよりも互いに補完する関係のようである。そんなことはともかく、図版のなかで一番欲しいと思ったのは上の図、島成園「お客様」(一九二九)。二人の少女、姉妹(?)の緊張振りが伝わってくる見事な描写だ。

明治二十六年頃の高島屋飯田新七東店(京都)の建物。内部は椅子とテーブルでなかなかハイカラなインテリアである。

高島屋日本橋店は昭和九年に「現代日本民藝展覧会」という民芸運動にとっての画期的な企画を打ち出した。この年、柳宗悦(上の写真は一九一三年撮影)は「日本民藝協会」の初代会長となり、その活躍によって昭和十一年に駒場の日本民芸館が開館の運びとなる。おそらく高島屋の果たした経済的役割は決して小さなものではなかったろう。総支配人の川勝堅一の民芸(とくに河井寛次郎)への入れ込み方は一通りではなかったようだ。
もうひとつ美術とは別に高島屋出版部も注目に値する。これについても
『書影でたどる関西の出版100』に高橋輝次さんが書いておられるが、そこに出ていない書影もこの図録には掲載されていて、たいへん参考になる。