
青柳正規『トリマルキオの饗宴 逸楽と飽食のローマ文化』(中公新書、一九九七年三月二五日)をやはり旅中に読了。じつに面白い。「トリマルキオの饗宴」はペトロニウス『サテュリコン』(Satyricon libri、サテュロスたちの物語の巻。一世紀のローマ、ネロ時代に書かれた諷刺小説)のなかの名高いパート。本書にはテクストの梗概と懇切な解説が施されている。全体のテクストは国原吉之助訳『サテュリコン』(岩波文庫、一九九一年)などで読める。フェリーニの映画はよく知られているだろう(大昔に見たようなおぼろげな記憶がある)。
フランス語/ラテン語対訳は以下のサイトでどうぞ。
Itinera Electronica
Du texte à l'hypertexte
Pétrone, Satyricon
奴隷の身分から成り上がった大金持ちトリマルキオ(トリマルキオン)が突拍子もない宴会を打ち上げる(ネロが実際に行った饗宴を揶揄しているとも)。その様子が主人公エンコルピオス(これもまたネロの分身だという説もある、いずれにせよペトロニウスはネロと親しいアドヴァイザーであった。結局は自殺に追いやられるのだが…)によってこまごまと語られている。
以前紹介したユイスマンスの
『さかしま à rebours』にはペトロニウスを絶賛する箇所がある。ウェルギリウスを手始めとしてラテン作家たちをバッサバッサぶった斬った後、こう切り出す。
《彼の心を真に捉えた作家があった。ペトロニウスである。
彼は洞察力の鋭い作家であり、繊細な分析家であり、素晴らしい絵画的な文章を書く作家でもあった。偏見も憎悪もなく、彼は淡々としてロオマの日常生活を描き、『サテュリコン』のきびきびした短い章のうちに、その時代の風俗習慣を物語ったのである。》
《しかもこれが不思議と辛辣さのある、正確な色彩的な文体、ロオマに流れ込んできたあらゆる言葉から表現を借り、いわゆる黄金時代のあらゆる制限と束縛を遠ざけた、あらゆる方言から活力を汲んだ一種独特な文体で語られているのである。そして各人物にはその慣用語を話させている。すなわち、無教養な解放奴隷には下層民のラテン語や街の隠語を、外国人にはアフリカやシリアやギリシアなど雑種の外国語の混った訛を、アガメムノーンのような愚かな衒学者には人工的な言葉の修辞学を。こうした人物たちが、的確な一本の線で描かれ、みな一つの食卓のまわりに寝ころがりながら、酔いどれの無意味な無駄話を互いに取り交わし、主人公のトリマールキオーの方へ顔を向けて、古くさい金言や馬鹿げた格言を喋り散らしているのである。一方、トリマールキオーは小楊枝を使って歯を掃除しながら、参会者一同に尿瓶を配り、どうか気楽にくつろいで下さいなどと言いながら、自分の胃の腑の壮健さを誇り、さかんに放屁するのである。》
以上澁澤龍彦訳(なんとも澁澤節である)。このユイスマンスの分析は参考になる。要するに本物の「小説家」だったということだ(むろん職業という意味ではない。ペトロニウスは官僚であり宮廷人であった)。