
『三惜書屋初稿』(藤澤黄坡先生華甲祝賀会、一九三六年四月三日)。黄坡藤澤章次郎の還暦を記念した漢詩集である。黄坡については以下の通り(関西大学のHPより)。
《明治9年(1876)3月7日大阪に生れる。
字は士明、号は黄坡と称した。幼少の頃より父南岳に漢籍を学ぶ。その後、東京に遊学、明治29年、東京高等師範学校を卒業後帰阪して、 岸和田中学で国漢を講じた。明治44年6月、同中学を辞し、南区竹屋町にあった私立高等小学校跡を借りて、祖父東(とうがい)以来の伝統ある泊園書院を再興し、漢学の普及に努めた。
関西大学には、大正11年、予科講師に就任。昭和4年、教授となり、昭和13年、定年退職した後も引き続いて非常勤講師として教鞭を執った。昭和23年、名誉教授(初代)の称号を受けた。昭和23年(1948)12月13日没した。72歳。昭和26年、義弟石浜純太郎教授の斡旋により、約2万冊の漢籍を本学に寄贈した。》

巻頭に越智宣哲の序が収めてある。題字や扉の文字を揮毫したのも越智かもしれない。「老友黄華」と署名がある。越智は奈良の人でやはり藤沢南岳に学んだ。黄坡より九歳年長だから兄弟子に当たるのだろう。南岳墓碑の撰者でもある。

黄坡の漢詩集に特別感心するという訳ではないが、この本の作りは還暦祝いでありながらも特段きらびやかなところはなく、じつに簡素に仕上がっているのが好ましい。
ざっと目を通していると、黄坡は正宗白鳥と閑谷黌(しずたにこう)で同級生だったようだ。正宗白鳥が新聞紙上に昔のことを書いているのを読んで感慨を催し、上写真の頁に見える漢詩を白鳥に贈った。黄坡は白鳥より三歳年長になるが、大阪府立中学から閑谷黌へ移っているので、同じ時期に机を並べたのだろう。白鳥が閑谷黌に在籍したのは明治二十五年から一年半ほど、黄坡も半年ほどしか在籍していなかったらしいから、交遊はわずかな時間であったのだろう。しかし、若き日の一瞬はいつまでも輝いて永遠に消えないもののようである。
もうひとつ藤澤黄坡の軸も架蔵している。さすがに双白銅文庫というわけではないものの、あまりに安価なので思わず買ってしまった。

倫理学有二大本全帰一欲獲神明祐要不分真實