佐野繁次郎を発見した『コレクションカタログ』は加藤京文堂およびかとう美術(ギャラリーアクシズ)が刊行していたものである。某氏より十三冊お譲りいただいた。深謝です。一九九五年のリニューアルオープン記念『加藤京文堂版画目録』から二〇〇五年三月発行のものまで十年間にわたる。
美術商が扱う版画と古書店が扱う版画はその取り扱いが微妙に違うようで、やはり古書好きの好きな作家は偏るもののようだ。ざっと見たところ、かとう美術になってから、とくに二〇〇〇年代に入ると、ほぼ美術商系の品揃えに変化しているように思える。
金額のことは考えず、ミュゼ・イマジネール・ドゥンチク(Le Musée imaginaire d'Ounticou 雲遅空想美術館)の収蔵品をこれらのカタログから選んでみる、という遊びを思いついた、と言っても貧乏性は抜け切らず、表記額に左右されたところもかなりあるのだけれど、そのなかから幾つか紹介してみよう。
これは誰あろう香月泰男! リトグラフ「裸婦」(一九七一)。背中を見せる裸婦というのはひとつの定番ポーズなのだが、このサラリとした力強さは並の力量ではでない。
驚かされたのは、この古賀春江「樹間」という水彩。東京美術倶楽部の鑑定証だけ。信じましょう。
藤森静雄「はとむぎ」(一九三四)、これは空想でなくとも何とか買えるくらいの値段(十一年前ですが)。今、どれくらいするのだろう……。
ジャック・カロの銅版画。メリヨンも同時に四種類ほど出ている。迷ったが、カロにした。これは買うでしょ。
平野遼「城壁の前の男」銅版画。これも清水の舞台ほどでもなくて、我が家の二階から飛び降りるくらいの気持ちでも購入できる額。平野遼は現実に何か身近に置いてみたい作家である(油彩画でもむちゃくちゃ高いというわけではない、版画なら手が出しやすいし、水彩かデッサンがいいかもしれない)。
深夜、雷鳴のなかでしきりに鳴き続ける野犬の遠吠えに、ふと永遠を思っていた 平野遼水彩素描集
http://sumus.exblog.jp/18994633/
まあ、こんなことでゴールデンウィークの半日を楽しんだ。