ひつこいようだが、生田耕作。上の映像は一九八三年に生田が日曜美術館に出演したときのひとコマ。ベルギー象徴派のクノップフについて語っている。やはり某氏にお借りしたもの。喋りはやや固い感じでフランス語や日本語も少し言い間違えたりしているが、それもご愛嬌ということで、貴重な動く生田資料である。
昨日の坂井輝久「祝祭、あるいは文学」の続き。
《このような愛書家であるから、生田耕作を囲む人たちには無類の愛書家が多い。出張先で仕事もそこそこにひたすら古書店めぐりに奔走する人、銀行の貸金庫を借りて稀覯本の安全を図る人、紙魚その他の害虫や日焼けから本を守るために食品の真空包装を応用して蔵書の密封保存に努める人、まさに生田耕作編訳『愛書狂』に登場する人たちを地で行く愛書家たちである。》
《京都に戻った鷹峯閑人生田耕作は、連日のように寺町筋や古門前、東山三条近辺の古書店や書画屋に出没して、和本や古書画を買いあさっていたらしい。江戸漢詩文で、その御眼鏡にかなった文人は、京都の粋文人の中島棕隠と江戸の吟遊詩人の柏木如亭が東西の両横綱であった。鷹峯の家「双蓮居」には続々と古書画や和本が蓄積していって、訪れるたびに最近家蔵となった逸品について、ひと講釈ある。書は掛け軸を床の間にかけ、壁に額を掲げて、朗々と一読して披露に及ぶ。》
楼燈 影なくして水声〓(さわが)し
一片の残蟾 寂寥を照らす
少女十三 よく客に慣れ
風露を辞せず送って橋を過ぐ
《「いいねェ。茶屋の明かりも消えた深夜、寂寞として花街を月明かりだけが照らしていて、そこをまだわずか十三の舞妓が客を送っていく景だね。棕隠の『鴨東四時雜詞』の中でも名詩の一首だね。鴨東花街の遊趣と鴨川の深夜の風情が見事に詠まれている」》
鴨東四時雜詞
http://sumus.exblog.jp/19432981/
集め出すと徹底するとは昨日も引用したが、中島棕隠についてはこんな具合だった。
《机を二つ並べて、和本を一面に陳列し、周囲の壁や床には掛け軸や屏風がある。すべて中島棕隠の本であり書である。和本は詩集、小本の狂詩集、洒落本、歌集、写本の春本まである。なかに稀覯本の『鴨東四時詞』や『蝶々詩』、漢籍書誌学者で蔵書家の長澤規矩也旧蔵『水流雲在楼集』などもある。「棕隠の板本は、あと『嵯峨小稿』を残すだけになったね。これだけは目下のところ複写で読むしかない』。書は漢詩の掛け軸や額のほか、美人画や四君子図に賛した作品まである。》
これはお勉強ではない、楽しくて楽しくて仕方がないのだ、と坂井氏は評しておられるが、まさにその通りだろう。以前、TV番組で白川静が日々漢字の研究に没頭していることについて、同じように語っていた。研究(かな?)は楽しくてしょうがないものなのだ。
明日も坂井稿をもう少し紹介したい。