バルテュス展のチラシ、一九九四年に東京ステーションギャラリーで開催されたときのもの。小生、これは逃しているが、一九八四年の日本初回顧展を京都市美術館で見たときの印象は今でも鮮明だ。それ以前、一九七六年にルーブル美術館でバルチュスの実物を初めて見た。たしかピカソからの寄贈作品だった、少年と少女がテーブルの廻りでポーズしている大きな作品「子供たち」(一九三七)が展示されいて、そのときルーブルで見た作品のなかでももっともショッキングな絵画のひとつだった(おそらく事前に知っていて見に行ったのかとも思うが、記憶が曖昧、ルーブル宮でもいちばん端の方のガランとして誰も見学者のいない部屋にあった、現在はどうなっているのか知らないが)。
とにかく戦前の諸作はノイエザハリッヒカイトの影響を受けて(ルシアン・フロイドと非常に近いように思う)、さらにやや演出過剰なところも目につくが、スレスレのエロティシスムはバルテュスならではの潔癖さを保った希有な仕事であろう。ところが戦後になると、モチベーションはかなり下がってしまう。フレスコ風の画肌も成功しているとは思えない。さほど感心できる作品はないように思う(この点ではルシアン・フロイドの戦後の充実ぶりとはまったく逆である)。
先日も紹介した画家のKさんから「バルテュス Balthus The Painter」(マーク・カイデル監督、BBC, Eurospace、1996)をお借りした。ヴェネチアでの大回顧展を軸にしてバルテュスの生涯と作品を紹介しつつ、本人、妻、モデル、息子などのインタビューで構成されており、見ていて面白く、また内容的にもよくまとまっていた。なかでも勝新太郎がバルテュスを訪問して女形やヤクザの仕草をしてみせる場面は傑作だ。
バルテュス&勝新太郎 Balthus&Shintaro Katsu
バルテュスにインタビューしているイヴァン・ド・ラ・フレサンジュなる青年が誰なのか知らない。検索してみたのだが、彼の姉はイネス・ド・ラ・フレサンジュで一九八〇年代に活躍したフランスのトップ・モデル、その後、シャネルのアドヴァイザー、『マリ・クレール』のジャーナリストとなった有名人である。父方の祖父が侯爵だそうだ。
いちばん注目した場面はここ。ジャコメティがまったく認められていなかった頃に、ジャコメッティのアトリエでほめたらくれたのだというブロンズ像、を説明しているところだが、注目は壁にかかっている絵の方。
モランディではないですか! バルテュスはフィレンツェのヴィラ・メディチの館長を長らく(たしか十八年間)勤めていたそうだ。その頃にピエロ・デラ・フランチェスカなどイタリアのフレスコ画の影響を強く受けたのだろう。その時代、モランディに接触していたか(?)、あるいはとにかく作品を所持していたことはこの映像から確実である。無骨な自画像など、二人に共通するところなきにしもあらず。
バルテュスのアトリエ。乱雑というほどでもないが、パレットは汚い派である。