好天ながら肌寒さを感じる一日。午後からメリーゴーランドへ。寿ビルの手前にタキイのビルがあり、苗や鉢植えの植物を販売している。
画家のKさんが秘蔵される
津田季穂の自画像を持参して見せてくださる。稲垣足穂の親友だった牧師で画家。『弥勒』にTとして登場している。小品だが、なかなか力のこもった作だった。
それ以外にもいろいろ楽しい話をうかがう。生田耕作さんにフランス語を習われたそうだが、フランス語の授業のはずが、中島棕隠や柏木如亭の話ばかりだったとか。生島遼一〜生田耕作〜山田稔という京大仏文の文士的伝統についてうかがっているところへ、そのまさに話題の山田稔さんがいらっしゃった。噂をすればしかも初対面ということで、Kさん、ちょっと動揺されていた。山田さんは
エミール・ゾラ通りに住んでおられたことがあると、拙作を見て感慨をもよおされた様子。『海鳴り』の黒田憲治についての感想を少し。お元気そうで何よりのこと。
Kさんが寄稿しておられる『エッセー集 断章』(「断章」編集委員会)の十二号と十三号を拝見する。Kさんは元永定正と津高和一の両巨匠に師事されたということで、その思い出がつづられたエッセイを書いておられる。とくに津高和一と親しくされていたそうだ。
《先生の抽象画「アシタハキノウニナル」と題をつけたのは、夾雑物をそぎ落して、今、生きている、今、これだけをといったものを表わしたい、と、そういう意味だといわれる。行動美術をやめたのは孤立無援でいたいから。審査の後、伊豆とか喜んで行くのや、これでは駄目になると思ってやめたとか。》
《先生、アトリエへ連れていって下さる。すごいテレピンの匂い。20号や50号や沢山の新作。新聞拡げてチューブが一杯。パレットに黄色。油でないとね、生かわきの時に次の色を入れるとにじんだりして、それが面白い、といわれる。30号くらいの黄土の矩形と黒の線のある描きかけの絵がある。ちょっと面白いと思ってるんですけど、と先生。何本もの油の筆。僕はやっぱり線が面白くて、線になりますねえ、と先生。》
《大阪、本町、ギャラリー芦屋へ、津高和一自選展。先生の作品はいつみてもスカッとしている。売れるのは、元永、白髪、津高くらいだと主人はいう。夜、津高先生に電話。元気そう。どれがよかったですか、と先生。奥の線のがよかったです、と僕。線の奴とマッスの奴と二つの傾向がありますね、軸はよう売れますねん、芦屋ギャラリーはやっぱり大阪という感じのギャラリーですね、よう売るんですわと先生。社長やら見に来たはりました、と僕。
生田先生亡くなりました。へえ、そうですか……ガンですね、ガンやと早いですね……
先生体に気つけてムリせんといて下さい。》
貴重な記録である。
津高和一追悼展(ギャラリー島田 2007)