
高瀬川。メリーゴーランドのビルから一本細い通りを挟んで東側を流れている。流れに散り落ちたはなびらの堰。

本日、土曜日。来場者多し。旧知の方々も。なかに今日初めてうかがったのだが、入江来布の親戚の方がおられてビックリ。その方は挿絵本のコレクターでもいらっしゃる。
《いりえらいふ 俳人。名は新三郎。大阪天下茶屋住。『倦鳥』同人。昭和31年(1956)歿、71才。》(思文閣美術人名辞典)
ネット上ではこのくらいの情報ながら、橋爪節也さんの『モダン道頓堀探検』(創元社、二〇〇五年)には次のように書かれていた。
《大正二(一九一三)年二月某日、へそ饅頭のたちばな屋から戎橋筋を南に入った入江呉服店。現在の千日前通りの付近。大阪の若い日本画家の集会が開かれている最中だ。》
《呉服店の若主人は入江来布。演劇や美術も評する人で、『倦鳥』の選者の一人である。来布の号は英語のLIFEに由来する。大阪には江戸時代から学問や雅事にうちこむ町人学者・文人がおり、その伝統を汲む人と言えるだろう。それに呉服店という業種も画家と関係が深い。明治四十四(一九一一)年に心斎橋筋の高島屋呉服店(現在は難波)に美術品を展示販売する美術部が発足し、再興第一回院展などが開かれた。負けじと大丸、十合の両呉服店系百貨店も美術部を設立する。心斎橋筋には他にも、美術評論も残す播磨屋呉服店主の岡田播陽がいて活躍していた。来布の店も時々、展覧会を開いていたようである。》
今日聞いた話では、来布の長男と三男は画家、版画家となり、次男は伸学社(通称入江塾)を設立した入江伸だという。先日の高津神社の観桜会では南木芳太郎のひ孫という方にもお会いしたし、大阪の趣味人文化は脈々と受け継がれているようだ。