
このところパリ関連の話題ばかり取り上げていたので、気分を変えて『絵本太閤記』(寛政九〜享和二、1797-1802)を出してみる。メリーゴーランドへ出勤途中にほんの少しばかり遠回りをして発見した。双白銅文庫の一冊。ボロボロ。表紙が改められているため目次を掲げる。
版元は大阪の玉栄堂他。文が武内確斎、画が岡田玉山。本書は大ベストセラーとなり
七編八十四冊にも膨らんだが、その過剰な人気のため幕府から文化元年(一八〇四)に絶版の命令を受けたという。「絵本」という呼称は「読本」(伝奇小説)でありながら子供向けの「絵草紙」のように挿絵がふんだんに盛り込まれているところから。
本書は第四之巻、木下藤吉郎時代における槍の訓練の話がメインになっている。槍は長いのが良いか、短いのが良いか、信長が諸士に向かって質問した。槍術指南・上嶋主水は、短いのがいいと主張したのに対して藤吉郎は槍というのは長いからいいのだと真っ向から対立。じゃあ、実際に対戦して決着をつけようじゃないかということで三日後の果たし合いとなる。ところが藤吉郎は対戦する足軽たちに槍の稽古をつけるどころが酒食でもてなすばかり……たしかに面白いです。

絵師の岡田玉山について『日本書画人名辞書』(杉原子幸編纂、松山堂書店、一九一一年四月二〇日七版)をめくると以下のようにあった。
《石田尚友、大阪の人、法橋に叙せられ法橋玉山と称す近世版刻密画の開祖なり初め関月[蔀関月]に就いて画法を学び後ち一家の風をなせり著述の画頗る多く当時京都の版画は大概皆玉山の手に成らざるものなく一時の名手と賞せらる天明より弘化の間に渉る門人頗る多し岡田修徳といふものあり二世玉山の名を継ぎ江戸神田に住し盛んに画を弘む然れども版行のものは毫も画かざりしといふ画風初世と相伯仲す》
ウィキによれば元文二年(一七三七)生まれ、歿年は不詳(文化九年?)。ということは初編が出たときには六十歳だったわけだ。なるほど、熟練の筆さばき、食事のシーンなどじつに巧みに足軽たちの表情や姿態を描き分けている。