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東京オリンピック1964 デザインプロジェクト』(東京国立近代美術館、二〇一三年二月一三日)図録を頂戴した。深謝です。今、東京近美のギャラリー4で開催中(フランシス・ベーコン展と終了日は同じ)。
《東京オリンピックの開催が決定すると、1960(昭和35)年春、10名のデザイン関係者が招集され、デザイン評論家勝見勝を座長とするデザイン懇談会が発足した。》
《シンボルマークについては指名コンペで亀倉雄策案に決定、「日の丸」を連想させるシンプルで力強いシンボルマークはすべての公式印刷物に使用されることになった。そして、色の使用については河野鷹思、書体については原弘、全体の調整を勝見勝が行うというルールが確立された。》
本展は招致活動のポスター類からオリンピック関連グッズまで、おおよそのオリンピック・デザイン・フィーバーが感じ取れる展示内容になっているようだ。ただ、はっきり言って、今見ると、あらゆるデザインが古くさい。おやっと目がとまるのは粟津潔の「Here is JAPAN」くらいかも。
そのなかでは公式ポスターの三点がたしかに成功している。戦前のドイツ・デザインを連想させはするものの、時間によってさほど風化されていない。

第2号ポスター(第1号は日の丸と五輪を組み合わせたもの)。一九六二年二月か三月に日本人の陸上選手三人(久保宣彦、岡本政彰、潮喬平)と米軍所属の選手三人(アームスター、エバンス、タッカー)によって国立競技場で撮影が行われた。約三時間にわたって三十回から四十回スタートダッシュが繰り返されたそうだ。およそ百本のフィルムのなかから全員の顔が見える一枚が選び出された。ADは亀倉雄策、撮影は早崎治、フォトディレクターは村越襄。B1サイズのグラビア印刷は日本初だったそうで大日本印刷と凸版印刷に各二万五千枚発注された。増刷もあって合計九万枚が印刷されたという。

第3号ポスターは東京体育館で一九六二年十二月と翌年一月の二回撮影が行われた。亀倉から「水を凍らせろ」という指示が出されストロボ六十台が水面に当てられた。モデルは早稲田大学水泳部の岩本光司。撮影は早崎治。こちらも当初は五万枚、後増刷して七万枚印刷。

第4号ポスターは落ち着きのあるものをという組織委員会からの注文で聖火ランナーを取り上げることになった。モデルは順天堂大学陸上部の田中良明。一九六四年一月、荒川土手で撮影された。6×6サイズのフィルムの端に写っている人物を大きく引き伸ばしたため画面が荒れて点描画のようになった。撮影は早崎治。東京大会の公式ポスターなので会期も記されている。五万枚納品。
東京オリンピック、といっても個人的にはあまり記憶にはない(なにしろ九歳だったもので)。開会式や女子バレーボールの映像は覚えているような気もするが(もちろんテレビで見た)、後年、何度となくくり返し振り返られる映像なので単なる刷り込みかもしれない。