
『永遠の線を求めて 抽象絵画の先駆者坂田一男』(山陽新聞社、一九九六年一一月一八日)。高松市の古書店で発見。これまで坂田一男についての資料を持っていなかったことに思い至り購入してみた。
坂田は明治二十二年岡山市生まれ。父は東京帝大卒、ドイツ留学もした高名な外科医であった。岡山中学卒業後、岡山医専、六高を受験して失敗。上京して予備校に通ったが次々に受験に失敗しノイローゼ気味になった。大正二年に二十四歳で画家になることを決意。本郷絵画研究所で岡田三郎助に、川端画学校で藤島武二に師事する。大正十年三十二歳、フランスへ渡る。いくつかの研究所に通った後、オトン・フリエス(
Achille-Émile-Othon Friesz)の教室に定着しフリエスの家族とも親しくなる。この渡仏後の一年間で坂田はすっかり人生観を変えた。
《何んだか総べてを超越してしまった様な気がします。お金を受け取りました。お金も在っても無くてもよい様な気がします。パンと水と丈でも生きられるし、何んなら食わずにいた所で、絵丈かいて知らない裏に死んで了ったって平気な様な気になって了まいました。》(母宛書簡、一九二二年八月二日、本書年譜中の引用より)
この後、サロン・デ・ザンデパンダンなどに出品しながら、フェルナン・レジェの教室で学ぶことになった。坂田は終生レジェを崇拝していたようである。たしかにレジェの影響力は戦後にいたるまでその画風を支配しているようにも思えるが(晩年は独自の世界を築く)、レジェよりもずっと繊細で色彩感に優れているようだ。

気付いたこと。一九二五年のサロン・デ・ザンデパンダンに出品した絵の図版は掲載されているのだが、年譜にはその記載がない。単に見落としか、確証がないために記載しなかったのか、それは解らないけれども、このときの出品目録はこのブログですでに紹介している。
SOCIÉTÉ DES ARTISTES INDÉPENDANTS
http://sumus.exblog.jp/8539957/
そこに二点出品している。再引用しておく。
SAKATA(Kazuo), né à Okayama.ーJaponais.ー 15, rue Hégésippe-Moreau
3030 Etude.
3031 Etude.
下の図版ページ、左上の作品はこのどちらかであろう。どちらにしても「エチュード(習作)」というタイトルだった。年譜に書き込んでおこう。

坂田の写真。パリにて一九二三年六月。驢馬にまたがっている。どうやら剥製か作り物の驢馬である。背景は垂れ幕のようだ。足下にマンホールの蓋が見えているので戸外でセットを組んで写真撮影をするような商売があったのだろうか。
坂田は父の死去によってフランス生活が維持できなくなり、昭和八年十一月に帰国。足掛け十三年の滞在だったが、妹の記憶によれば、持ち帰ったのは《スケッチ用画紙と鉛筆、着替えの肌着が入った紙製のトランク一つだったという》。サッパリしていてよろしい。