カテゴリ
古書日録もよおしいろいろ おすすめ本棚 京のお茶漬け 東京アレコレ日記 佐野繁次郎資料 宇崎純一資料 渡邊一夫の本 青山二郎の本 spin news 読む人 パリ古本日記 写真日乗 あちこち古本ツアー 装幀=林哲夫 著述関連 画家・林哲夫 雲遅空想美術館 淀野隆三関連 喫茶店の時代 うどん県あれこれ 貧乏こっとう ほんのシネマ 以前の記事
2024年 01月2022年 04月 2019年 06月 2019年 02月 2018年 09月 2016年 11月 2016年 01月 2014年 02月 2013年 10月 2013年 09月 more... フォロー中のブログ
【フランス落書き帳】ht...【フランス美食村】nao... 退屈男と本と街 ニューヨークの遊び方 gyuのバルセロナ便り ... 奥成達資料室blog版 空ヲ洗フ日々 十谷あとり 浅生ハルミンの『私は猫ス... 古書渉猟日誌 bookbar5 わたしつくるひと 猫額洞の日々 トスカーナ オリーブの丘... フォロニアム 昨日の続き モンガの西荻日記 往来座地下 天音堂★山口ヒロミ工房_... NabeQuest(na... フランス古道具 ウブダシ Mの日記@古本T「たまに... 日常と夢の記憶 Gallery Shim... and so on... 亡兎観現世 石のコトバ ボローニャに暮らす 糸巻きパレットガーデン Kumatetsu Ga... Muntkidy Lenzgesind 奈良 智林堂書店 うらたじゅんの道草日記 高遠弘美の休み時間・再開... ネジ式 さし絵のサイン 机の上で旅をしよう(マッ... 森のことば、ことばの森 新潟絵屋Blog オックスフォード便り 白 の 余 白 Madame100gの不... ツレヅレナルママニ 関西の出版社 めぐり逢うことばたち 古本万歩計 りはびりカメラ ムッシュKの日々の便り Books & Things ちらしDMコレクション ネコと文学と猫ブンガク daily-sumus2 メモ帳
お問い合わせはこちらまで
本を散歩する雑誌 [スムース] 洲之内徹略年譜 『書肆アクセスの本』 ほんまに日記 恵文社一乗寺店 Calo Bookshop & Cafe 貸本喫茶ちょうちょぼっこ BOOKONN 奥付検印紙日録 とらんぷ堂 書肆砂の書 みずのわ編集室 みずのわ放送局 エエジャナイカ 蟲文庫 古書日月堂 海月書林 田中栞日記 古書の森日記 日用帳 なえ日記 lady pippon 古書現世店番日記 海ねこ的日々の暮し m.r.factory ナンダロウアヤシゲな日々 内澤旬子・空礫絵日記 四谷書房日録 森茉莉街道をゆく ねこそぎ記念 本の街日記 リコシェ 旅猫雑貨店 津田明人 北方人日記 柳居子徒然 駅前糸脈 日々のあわ.。o○ 晩鮭亭日常 空想書店書肆紅屋 bibliomaine mod autographes et … BiblioMab Le blog de Yv Le Monde Gibert Joseph bnf BRITISH LIBRARY Galaxidion Library of Congress Strand Bookstore The Book Design Review penguin blog Mark Simonson Studio modernmechanix くうざん本を見る 神保町系オタオタ日記 ma-tango jun-jun1965 書物蔵 スローラーナー 本はねころんで 漁書日誌 城戸朱理 町家古本はんのき 古書ダンデライオン Kanecoの日記 吉岡実の詩の世界 qfwfqの水に流して 古本屋ツアー 清水哲男 Automat svět 細馬宏通 中野晴行 古通・編集長日誌 昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板 喫茶・輪 古本ときどき音楽 本と暮らす ウロボロスの回転 表現急行 tundowの日記 盛林堂日記 フクヘン ですぺら 花森安治の装釘世界 文壇高円寺 ぶろぐ・とふん medievalbooks マン・レイと余白で okatakeの日記 古本ソムリエの日記 最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
世ニ二棄物有リ近所の桜はまだ五分咲き程度のようだが、この樹だけは満開になっていた。 『scripta』二十七号(紀伊國屋書店、二〇一三年四月一日)が届いた。荻原魚雷氏の新連載「男の本棚」が載っている。第一回は「四十初惑」と題して、野村克也、扇谷正造、吉川英治、源氏鶏太とつないでゆく芸は魚雷氏ならではの筆さばきである。そのなかに田能村竹田が登場しているので驚いた。昨日の今日だ。吉川英治からの引用。 《田能村竹田は、三十で隠遁し、四十代で田翁、田叟(そう)と自署していることから、吉川英治は「ずいぶん老けた人である」とおもっていた。 しかし五十歳ちかくなった田能村竹田は、若年のころからずっと誰にも負けまいという気持で絵を描いてきたのだが、「四十をすこし踏んでからは、これでいいかと考え出した。(中略)つまらない雑草の花ではあっても自分の枯れた後も、この土壌に自分の種族を来年の春も、次の春も、咲いてあるように欲しいというような本能を感じてくる」というようなことを友人宛の書簡に綴っていたそうだ。》 竹田の隠居したのは三十六歳(数え三十七)である。竹田は由学館という藩校で講義をし、また『豊後国誌』編纂に従事した岡藩(大分県竹田市)の有望なインテリ青年だった。文化八年の百姓一揆に対する建言書を藩主に提出しようとしたらしいが、しかし下役だったので提出も許可されなかったらしい。そのため隠居願いを出し、それは認められた。ただし隠居後も由学館で非常勤講師を勤め、藩からは扶持ももらっていたので、本当の隠遁というのとは少し違う。 《世ニ二棄物有リ。蕉叟ト僕ト之ヲ謂フ也……是ヲ以ツテ会スル毎ニ相謀リ、帰隠ノ計ヲ為ス。而シテ猶未ダ果サズ、頃日、僕ハ竹田書屋ニ屏居ス……》 とこれは享和三年(一八〇三)に書かれた竹田の文(『日本美術絵画全集 木米/竹田』解説より)。自らの無力さを痛感し隠遁(隠居ではなく)への願望をつのらせていたことがよく分る内容である。吉川英治の言うようなのんきな話ではないようだ。むろんここから田能村竹田は田能村竹田に成るわけだから、この挫折感をわれわれは幸いとしなければならない。 「愛瓢自画像(部分)」(『日本美術絵画全集 木米/竹田』より)。若い頃から晩年まで眼病に苦しんだというが、天地眼のような瞳の配置にちょっと凄みがある。 富士川英郎は「鴟鵂庵詩話(十四)」(『本』第十五号、一九六五年五月)で田能村竹田を取り上げて、その詩風について次のように書いている。 《竹田は一言にして言えば、風雅の士であり、趣味の人であった。広瀬淡窓、草場珮川、田能村竹田と三人を並べてみると、淡窓の詩は清逸典雅で、格調が高く、珮川は素朴で、日常的で、写生的であるが、竹田は最も浪漫的、趣味的で、書巻の気が多い。そして時に「穠褥に過ぎた」その詩境が、しばしばデカダンスに陥っていると言うことができるが…》 竹田の風雅や趣味の根幹に挫折が、深い無力感が、あった。しかも、その絵も詩も趣味の人の域は遥かに超えているし、本人にも高みを求める強い自覚があった。竹田は著作も多い。全集……はちと高価だが、いずれ繙いて、もっとよく竹田の本質を見つめてみたいと思う。
by sumus_co
| 2013-03-25 22:19
| 古書日録
|