落花狼藉。わが家の裏庭に梅の木がある。遅く咲く花で、今まさに落花の最中。世は桜に浮かれているようだが、こちらではごらんのようなありさま。
落花狼藉という四文字熟語は『倭漢朗詠集』大江朝綱の漢詩「惜残春」による。だから落花の「花」は梅である。わが家に狼はいないが、猫がよく庭を駆け抜ける。落花猫藉。
艷陽盡處幾相思
招客迎僧欲展眉
春入林歸猶晦迹
老尋人至詎成期
落花狼藉風狂後
啼鳥龍鐘雨打時
樹欲枝空鶯也老
此情須附一篇詩
わが家の梅の枝にも鶯がやってきて、開ききった花の蕊(しべ)をつつきながら枝を渡っていた。風がサッと吹く。雪のようにはなびらが散る。うっとりとしばらく眺めていた。鶯を撮ろうと思ったのだが、コンデジでは限界がある。窓を開けても逃げてしましそうだ。なすすべもなく眺めていると、十分足らずで飛去った。
ブックオフで『日本美術絵画全集 木米/竹田』(集英社、一九七七年)を買った。七〇年代に流行った大判の美術全集の一種。タテの長さは四十センチほど。ずっしりと重い。そのためもあってか捨て値である。これまではこの手の大判画集はよほど好きな作家しか買わなかったが(例外は岸田劉生とヤン・ファン・アイク)、最近は江戸絵画についての資料としてこういう重厚長大な画集にも目を向けるようになった。いろいろな画家の巻があったが、さすがに何冊も買うと置き場所に困る。とにかく田能村竹田を。あとはぼちぼち……。
その図版から「
梅花書屋図」(天保三年=1832)のごく一部分を。現物は出光美術館にある。竹田が豊前岩井村の曾木士功の家に滞在したときに、その御礼として描いたそうだ。
回廊の突端に見晴らしのよい書屋というか簡単な展望台のような作りの亭。そこに据えられたベッドに半身を横たえた主人。足元には帙に収まった書物。何かしら脇に座る若い男と語らっている。若者は手に巻物を開いて捧げている。前景には驢馬に乗った三人の客が彼等の屋敷へ向かっているから、今宵のもてなしについて計らっているのだろうか。梅の古木が画面中いたるところで花を咲かせて陶然とさせられる。香も画中に満るようだ。
竹田は画家として名高いが、絵は独学に近く、もともとは詩を研究していた。だから漢詩も巧みである。この絵と直接関連するのではないが「雜詠」全文。引用は『日本文人詩選』(入矢義高、中公文庫、一九九二年)より。
留飲梅花下
山園春事微
水中魚逆上
霞際雁横飛
軽暖纔生緑
余寒易襲衣
三更宴初散
幽径帯香帰
絵に描かれた季節よりも少し早い時期なのかもしれない。梅見の宴が夜中までつづいて、やっと解散になった。暗がりの道を梅の香につつまれて帰宅するという趣がなんともいいものだ。絵の方は、例えば、その宴会が始まる直前の様子だと見てもいいかもしれない。
この漫画っぽい、誰にでも描けそうな絵柄、しかしそれだけに終わらず、この稚拙さにまた独特の優雅さをたたえているところが竹田の希有な才能であろう。
山中人饒舌
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