
和田斐太『生活風景』(マタン社、一九三六年一〇月五日)を入手。Mさんより宇崎純一の挿絵入りの本が「日本の古本屋」に出ていますよとお知らせいただき注文したもの。たしかに宇崎純一の「パアラア」と題されたペン画が掲載されていた。本の内容は愚にもつかないと言っては著者に失礼だが、芸術随想的なものがほとんど、最後に付されているシベリア経由でベルリンまで旅行した際の簡単な日記が目を惹くくらい。このとき鳥海青児が同行している(ということは昭和五年)。
和田はどうやら兵庫県の出身らしく、まず神戸へ出て、その後東京に住んだこともあるし、大阪に戻って大丸の装飾部に勤めていたようである。初めは画家を目指していたようだが、宣伝美術の方へ入って行った。著書は以下の通り。
小林一三氏に與ふ : 世紀の苦言 新東亞建設社編 新東亞建設社 1941.4.
日葡貿易史の研究 新東亜建設社 昭和16
優れたる政治と経済 大阪時事新報社出版部 昭15
知識人と文化 和田斐太 昭13.
生活風景 : 随筆集 マタン社 昭11
室内装飾画集 太洋社 昭和8
装飾文字 太洋社装飾研究所 大正14
シヨーウヰンド装飾 芸艸堂 大正13
感心したのは純一だけでなく、渡辺義知、鳥海青児、小西謙三、向井潤吉、水谷清、吉田謙吉、川口軌外、三雲祥之助、岡本唐貴、山田伸吉、高岡徳太郎の挿絵が一点から数点ずつ収められていることだ。だいたいが在野の美術団体の新進画家たちである。小生がすぐにピンと来ないのは三人。ググってみると、渡辺義知は東京銀座生まれ、二科会、戦後は日展に出品。小西謙三は吉原治良の友人で、ロシアで絵を学び、その小西の肝いりで吉原が絵本『スイゾクカン』(一九三二年)を出したという。水谷清は岐阜出身、早稲田中退、川端画学校から春陽会に出品し戦後は審査員になってる。とにかく和田の交友関係が想像される挿絵陣である。

山田伸吉描く著者の肖像。
山田伸吉については何度か触れたことがある。

宇崎純一「パアラア」

山田伸吉「デツサン」

鳥海青児「シベリア風景」
版元のマタン社(発行人=水谷川清、東京市京橋区銀座五ノ四ツチダビル)は外山卯三郎がブレーンだったようだ。外山の著者の他に、三岸好太郎の
『蝶と貝殻(筆彩素描集)』(一九三四年)、瑛九の
『眠りの理由(写真集)』(一九三六年)といういずれも瞠目すべき作品集を出している(巻末刊行書目による)。
そういう昭和初期の生きのいい若手画家たちに混じって宇崎純一が登場しているということについては、いろいろ考えさせられるものがある。まったくの想像に過ぎないが、同じ小野の出身だとか?