「ぐろりあ そさえて」か「ぐろりあ・そさえて」か? 某氏よりある原稿をチェックしてほしいと頼まれて、両方の表記があったので統一した方がいいとアドヴァイスしたのだが、上のコピーのように実際には両方の名称が使われている。さて、どうしたものか?
それぞれの本のタイトルにそれぞれ表記通りの名称を付す、というのが某氏の原稿通りなのだが、それだと一般読者にはどちらかが間違いではないかといらぬ疑惑あるいは混乱を引き起こしてしまいかねない。編集者的な立場としてはどちらかに決めた方がいいと思うのだが、オリジナル重視でいけば、それぞれに即した名称を使用すべきだというのも分らないでもない。
旧漢字についても、パッと見にはひどく恣意的に使用されていた。ごく一例だが秋田實(…林広次)というような表記があって、次には廣田好夫という表記がつづく。廣と広の使い分けの意味が解らない。小生は旧字はできるだけ使わない主義である。というのは使い出すとキリがないからで、狭量にも一文字だけ使って他を使わないのは許せず、ならばすべて旧漢字にしなければ収まらないではないかと思うのである。ところが旧漢字と言ってもこれがまた一筋縄ではいかない。旧字そのものが時代によっても使用者によっても一様に同じというわけではない。これも一例だが、内田百閒は間を使っている書物も多いし、澁澤龍彦だって渋沢竜彦と表記していた時期もあれば、昭和二年生まれの小沢信男さんなんか、戸籍上も小沢であって小澤ではないとおっしゃっていたからややこしい(戦前生まれの方だから旧漢字だと気を利かした編集者が小澤としたことがあったらしい)。
とは言うものの、名は体を表す、澁澤龍彦が渋沢竜彦ではまったく別人であろう(これも彦の立のタテ二本は交差しているべき)。鴎外だってべつに鴎外でいいと思うのだが、中が品でないと、やはり落ち着きが悪いような気がしてくるのは善くも悪くも慣用の魔というものである。
結局、解決策として、凡例のところに《雑誌の編輯発行人や単行本の書名著者名は現物確認できたものに限り旧字をいかした。》という一文を入れることにするという。《現物確認できたものに限り》が少々問題を複雑にしているが、これはこれでひとつのルールをはっきり明示したという意味では評価できる。ついでに書名著者名に版元名も付け加えておくべきかもしれない。
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昨日放映された「ビブリア古書堂の事件手帖」に高橋輝次さんの本が出ていた。志多三郎『街の古本屋入門』、秋山正美『古本術』、岩男淳一郎『絶版文庫発掘ノート』、坪内祐三『文庫本玉手箱』、そして高橋輝次『古本屋の蘊蓄』……。ただし、古書業者の市場に出して棒(ボウ=買い手がつかなかった)になったひとくくりという設定だった。