世田谷文学館で開催中の「帰ってきた寺山修司」展の図録を頂戴した。すっきりしてカッコイイ(表紙デザイン=福田真一、本文デザイン=原英二)。ざっと眺め始めて青年時代の手紙や葉書の図版に釘付けになった。

昨日、返コメで短歌からなどと生意気なことを吐いてしまったが、この図録には中学時代のガリ版雑誌『白鳥』が掲載されており(ということは今展示されているわけだろうが)、解題を執筆された久慈きみ代氏は寺山修司の本質は編集者だったと述べつつ『白鳥』の内容(俳句、短歌、詩、童話)に触れて《四十五首の短歌は、俳句と比べ見劣りする》と断定しておられる。
たしかに寺山はこの後、高校時代には『牧羊神』というやはりガリ版の俳句研究誌を全国の学生たちといっしょに創刊しており、この時期には俳句に一番身を入れていたことは間違いないだろう。ただ、小生には『白鳥』掲載の俳句がさほどのものとは思えない。むろん同級生レベルで考えれば話は全く別だが、どちらかというと月並み俳句の域を出ない、というか月並み俳句の域を自在に遊泳している感じである。当時すでに俳書(『大正一萬句』の類いか?)を相当に読み込んでいたのではないだろうか。次のような作品である。

峠道サーカス行くや雲の峯
この句が二度掲載されているようだが、意図したのか単なるミスか、後年の寺山を暗示しているようで面白い。「雪雪雪峠道行く馬の鈴」の雪雪雪はコンクリート・ポエムを連想させる表現。自分で考えたなら、たしかに生意気な中学生ということになる。対して短歌はこういう作である。

母とか旅とか寺山が終生こだわったモチーフが頻出している。歌としてのスタイルもすでに保持しているのだが、表現がまだ満ちていないようなところがある。それでも、まとまりすぎた俳句よりもずっと好ましく思う。この土壌に現代俳句や現代短歌という肥料がたっぶりまかれると「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」のような作品が生まれるのはごく自然のような気がしてくるのだ。
とにかく中学生でこれくらい歌が詠めれば才能と言わざるを得ないだろう。ついでに高校生になってからの俳句も掲げておく。

雲と泥の差とはよく言ったもの。泥から透き通る緑が吹き出したようである。