

こちらもやはり尚学堂さんで。かなり疲れた山水画の短冊。幅およそ六センチ。スキャンしきれないので二分割、お見苦しい点はお許しを。絵はまあ、こんなものでしょう。型通りの感じである。ただ制作年と落款が明記されているのに惹かれた。

甲辰中元後二日
雲石散人養[雲石]
甲辰(きのえたつ)は明治三十七年ではあまりにも近すぎる。弘化元年(一八四四)だろうか? 中元は旧暦七月十五日(お中元です)、後二日だから十七日ということか。画中の緑も深々と繁っているようだし、川べりに設けられた酒亭(?)がいかにも涼しげ。
まずはとにかく雲石をネット検索する。しかし何も手がかりなし。そこで、折よく借覧中の三巻本『日本書画人名辞書』(杉原子幸編纂、松山堂書店、一九一一年四月二〇日七版)を当たってみる、と、ありました。

これは上巻にのみ付いている口絵木版画。

画号(名前)の漢字画数で引くようになっている。雲は十二画。

《雲石[画]中村氏、狩野安信の門人にして初め三之丞と称せり》
中村雲石という姓名が分った。でも、これだけではどうしようもないな……、あ、そうか、狩野安信の門人だから「安信」の項目を見ればいいわけだ。
《狩野安信[画]狩野家初め四郎二郎と称し安信と号す又牧心斎、静閑子、了浮斎の別号あり通称右京法眼に叙せられる孝信の第三子なり画法を兄探幽及び尚信に学び筆力猶雄勁頗る家法の妙を得たり又古画の鑑定を能くす時に狩野貞信歿して嗣なし出でゝ宗家を嗣ぐ世に中橋狩野と称す其居江戸中橋に在るを以て也貞享二年九月四日歿す年七十、狩野氏第八世》
比較のためにウィキもコピペしておく。さすがに安信は立項されている。
《狩野 安信(かのう やすのぶ、慶長18年12月1日(1614年1月10日) - 貞享2年9月4日(1685年10月1日))は江戸時代の狩野派の絵師である。幼名は四郎二郎・源四郎、号は永真・牧心斎。狩野孝信の三男で、狩野探幽、狩野尚信の弟。中橋狩野家の祖。英一蝶は弟子に当たる。[下略]》
歿年が貞享二年(一六八五年)ということは、雲石の書き残した甲辰が貞享二年の前後の甲辰のいずれかだろうと見当がつく。師匠が存命中なら寛文四年(一六六四)、歿後なら享保九年(一七二四)ということだが、これはおそらく後者だろうと思う。とすると二百八十九年前の短冊になってしまう。以上、雲石が中村雲石と仮定してのお話でした。
杉原子幸(夷山)編『日本書画人名辞書』は三冊本の後に七冊本(正続上中下・付録)が出ているようだ。昭和になって一冊本もある。たしかに便利な辞書だと思う。
ついでと言ってはなんだが、
先日の野呂介石も引いて見た。項目の文章量によってその作家に対する注目度というか評価の高下が分るところも面白い。介石はかなりの高評価だと言えそうである。