つげ義春『ねじ式』(小学館文庫、一九七六年六月一〇日四刷、デザイン=玉井ヒロテル、装画=司修)。中学生の頃から『ガロ』が書店に並んでいるのは見ていたが『COM』しか買わなかったので同時代には読んでいない。この小学館文庫が出た頃に初めて「ねじ式」を読んで感嘆した。なんとも不思議な漫画家がいるものだ! それからつげ作品に注意するようになった。
もうひとつ「ねじ式」が印象深いのは次のコマのせいでもある。
武蔵美の学内の掲示板にこのコマを拡大したポスター(?)あるいはビラが貼ってあった。小生の大学時代は大学紛争が終熄してしまった後で、教授の昔話みたいなことでしか紛争の有様については知らなかったが、なんとなくこの一コマのビラにその時代の余韻を聴くような気がしたものだ。「ねじ式」の初出は一九六八年だから、まさにそんな不条理の風をはらんでいるはずである。
これに関連して面白いと思うのは、手塚治虫の「ブラック・ジャック」(『週刊少年チャンピオン』一九七三年一一月一九日号より連載開始)の第一話のタイトルが「医者はどこだ!」だということ。小生はまずまちがいなく手塚治虫はつげ義春の「イシャはどこだ!」を意識して借用していると思う(証拠はありませんが)。手塚その人が医者であったわけだが、つげの問いかけに答えるように「医者はここだ」とブラック・ジャックを生み出したのである。
「ねじ式」の最初の一コマ。一九六七年、つげは調布の水木しげるの近所に下宿していた。その屋根の上でうたた寝をしてこの作品のもとになった夢を見た。原稿の締め切りに追われ、ヤケクソでその夢を漫画にしてしまった。
《そんなわけだから、当時、ぼくは夢にはまるで関心がなくて、夢を描くことは何ほどの意味もなく、デタラメを描いているような気持ちで「ねじ式」を描いたのだった。だから「メメクラゲ」の「メメ」が「××」の誤植であっても一向に気にしていなかったのである。
なのに、そんな作品がひとたび芸術というヒョーバンをとってしまうと、いかにも芸術らしくみえるのだから、ホントーに夢みたいな話だ。》(つげ義春「あとがき」)
このメメ誤植については先の
『誤植読本』の拙稿でも引用している。