
昨日と同じく『早稲田をめぐる画家たちの物語 小泉清・内田巖・曾宮一念・中村彝』図録より内田巖「少女」(一九三三年)。内田は内田魯庵の長男である。これまでも何度か紹介してきた。
内田巌「リサコ像」
http://sumus.exblog.jp/9766757/
内田巌のエッセイ「秋刀魚の話」
http://sumus.exblog.jp/9760478/
内田巌『画家と作品』(高桐書院、一九四八年)
http://sumus.exblog.jp/12018526/
内田巌『人間画家』(宝雲舎、一九四七年)
http://sumus.exblog.jp/10535255/
内田の文章から小泉清に関する記述を拾っておこう。
《私は始めて小泉の家に行つて彼の絵を見た時、すつかり驚いてしまつた。彼の作品が少年が描いたものと思へぬ程素人離れがしてゐたからだ。彼は二十号位の油絵を描いてゐた。木炭の自画像、水彩等已に本職と云つて良い程のテクニックを持つてゐた。最近の小泉はあゝ云ふ里見勝蔵君ばりの絵を描いてゐるが、実に写生的な絵にもしつかりとした腕のある画家なのだ。私は最近まで中学時代の彼の水彩画と自画像を所有してゐたから、その時の私の驚きが単に少年だつたからではない事を信じてゐる。》(内田巌『絵画青春記』)
まさにこれは小生が昨日の水彩画を見て感じたこととそっり同じである。内田少年(小泉清より一歳下の一九〇〇年生まれ)の見る目のたしかさを物語るであろう。
巌少年は父の魯庵から作文を添削してもらっていたという。魯庵も本気で直したらしい。だから文章は画家とは思えないくらいしっかりしたものである。かつて松本八郎さんのEDIがまだ元気で、アルヒーフなどを次々発行していたころ、将来の企画として画家の珠玉エッセイ集というのを提案したことがあった。具体的な形になるまでには至らなかったものの、そのとき鍋井克之と内田巌は必ず入れると決めていたのを憶えている。小生のなかでは西の鍋井、東の内田という両横綱なのである。
《東京美術学校時代から交友のある猪熊弦一郎は、内田が「昔からよく飲むと上機嫌になつて、『詩を作るぞ』と云つて」ありあわせの紙に詩を書きつけ、「彼の一番得意な美しい絶頂で」読み聞かせてくれたと書いている。猪熊は、「その度に彼のタラン[タレント]は或は文学の方面にあるのではなかろうかと考へてみる事もあ」ったといい、画業のみに留まらない奥行きある素養の一端を伝えている。》(喜多孝臣「半調子の画家 内田巖と《止水》」)
どうやら猪熊弦一郎は内田は絵よりも文の方がずっといいと言いたそうである。実際その通りだと思う。ただ、絵の方もこの「少女」などアンドレ・ドランのような力強さがあって好きだ。

たまたま古雑誌の山から見つけた『サンデー毎日』(毎日新聞社、一九五三年一二月二七日)。表紙は内田巌「首飾りの女」。見る者をグッと掴むようなところがある。画家としても決して凡庸ではなかった。