
高橋輝次編『誤植読本』(東京書籍、二〇〇〇年七月二八日、ブックデザイン=麻生隆一)がちくま文庫に入ることになった。刊行は六月の予定。小生も「錯覚イケナイ、ヨク見ルヨロシ」を執筆させてもらっている。装画はいくつかの文庫にこれまでもいろいろ提供させてもらってきたが、文章の方では初めての文庫入りとなる。短い随筆一篇だけではあるにしても、素直に嬉しい。
もう十二年以上前の発行なのだ。あらためて本を取り出して驚いた。小生はまだ単行本を出していない時期なので『ARE』『sumus』の編集人としての肩書きである。今、目次を見返すと、ビックリもいいところ。……大岡信、長田弘、花田清輝、山口誓子、富安風生、土岐善麿、森銑三、中井久夫、林哲夫、尾崎紅葉、森鴎外、斎藤茂吉、内田百閒……。高橋輝次さんの編集なのでそういうことになっているわけだが、それにしても、これはあきれるほかないのである。
今また拾い読みしている。たしかに面白い。誤植には人間の思考の秘密が隠されているのではないだろうか。どうして人間は間違えるのか。やはりみなさん、自分の名前を間違われるのはショックらしい。
《私自身に関する誤植で最もひどいのは、名前を間違えて印刷されることである。今迄に既に何度となく、雑誌の目次などに「中村慎一郎」という名前を発見して、衝撃を受けた。》(中村真一郎)
《私宛ての郵便物には私の名前を木ヘンでなく「恒夫」と誤記して来るものが時どきある。これは感じが悪い。が、そのことでちょっと面白い思い出がある。東京で生活を送るようになって間なしのある日、先輩の川端康成氏と町を歩いていると、川端さんが笑いながら「あなたの名前で僕は十円手に入れたことがあるんですよ」と言ったのだ。》(藤沢桓夫)
この理由は本書にてどうぞ(笑)。
《印刷所では、活字をケースにかへすときに、よく入れ間違ひをするものらしい。活字の入れどころが間違ってゐれば、誤植の起るのは当然である。
いまも自著の校正をしてゐると「芝子の花」といふのが頻りに出て来た、これは「芥子の花」の間違ひであるが、「芝」の活字が「芥」のところにかへしてあつたのにちがひない。「芝子の花」はいいとしても、そのあとから「芝川龍之介」といふのが続いて出て来たのには苦笑した。》(山口誓子)
活版ならではの誤植である。また、俳人西島麦南は西島九州男という「校正の神様」であり(澁澤龍彦)、『本と校正』(中公新書)『校正の美学』(法政大学出版局)を書いた長谷川鉱平は批評家が本職だった(花田清輝)というように、誤植と校正にまつわる物語には興味が尽きないのだ。