
『薔薇園小稿 附茶山詩抄』の恵贈を賜った。木内龍山が筆写した頼山陽と菅茶山の漢詩抄である。はっきり言って、木内龍山が何者なのかまったく知らなかったが、ネット検索してみると、幕末の勤皇の志士で讃岐国円座町の小橋家に生まれ、長じて高松町帰来の木内家の養子となっている。『龍山漫録』や『撃攘録』他の著作があり、経営した私塾はやがて官制の小学校(現・古高松小学校、校庭内に木内龍山碑あり)へと発展した。

前半は頼山陽の詩集抄である「薔薇園小稿」。頼山陽の詩集についても詳しくないのだが、薔薇園は頼山陽が京都の両替町押小路上ル東側の自宅に付けた名称である。現在で言えば烏丸通御池の京都マンガミュージアムの北側あたりになる。とにかく山陽は頻繁に引っ越しをした。詳しくは下記論文を参照されたい。
安藤英男「頼山陽の京寓と其の生活ーー頼山陽書簡集をめぐって」
http://libw01.kokushikan.ac.jp/data/003432/0000/registfile/1346_194X_002_05.pdf
安藤氏によれば、薔薇園には山紫水明処(現存の山紫水明處は後の水西荘の別棟書斎で、ここではない)の後、京で五番目の家として文政四年(1821)四月から同じく五年十一月にかけて住んだそうだ。この家は庭が広く(五間×三間)、山陽はさまざまな植物を栽培し、南の垣根一面に薔薇の差木をして薔薇園と呼んだ。「移居築園 雑咏」十八首のうち第三首。
鋤荒栽樹汗沾衣
稍覚園容縁四園
更慮南籬春寂莫
又待疎雨挿薔薇
ただ本書の「薔薇園小稿」の題は木内龍山によるものか? 内容をみると寓居としての薔薇園と関係のありそうな詩は選ばれていないような気がする。山紫水明処で詠んだと思われる作はあるのだが。薔薇園=頼山陽の意だろう。題画詩が多く選ばれているのが特徴。なかに引っ越しの詩があった。
移居
奴肩搬運未言疲
茉鼎香炉次第移
手自提携唯二物
一枚端硯一嬌児
山陽先生は片手に端渓硯、もう一方の手に女の子の手を引いて引っ越していたということかな。

「茶山菅先生詩集」のページは筆跡というか書体を変えている。こちらでは題画詩少々と道中記のような漢詩を多く選んである。

巻末に「天保十一年庚子二月浣写之」そして図書印「賞真亭図書印」。

さらに古い古書店の値段札まで付いていた。代金四円は安くない。写本だから当然とも言えるが、現在の数万円にはなるだろう。