
昭和四十三年二月二十八日発行の国土地理院の「五万分一地形図徳島十一号(共十四面) 三本松」。先日の幕末の地図ではこころもとないのでもう少し新しい地図を引用してみた。右下に引田、中央が白鳥、左に三本松。当時は香川県大川郡。現在は統合されて東かがわ市となっている。幹線道路は国道十一号線。鉄道は高徳線。
またまた白鳥の話題を出したのは、耳よりなことを聞いたからである。正宗忠夫のペンネーム「白鳥」はこの白鳥(しろとり)から取られたという説があるそうだ。正宗白鳥は岡山県和気郡穂浪村(現備前市穂浪)に生まれたが、その母の出身地が讃岐白鳥で、白鳥は母の出身地をペンネームとした、と。ごく普通に考えて母の実家にも連れられて来たことがあったのではないだろうか。ということは白鳥の白鳥伝説を早くから知っていたのではないかと想像することもできる。


白鳥伝説は古事記に出ているヤマトタケルの伝説である。桑島玄二『白鳥さん』(理論社、一九七七年一〇月、そうてい・さしえ=飯原一夫)によれば、三重県の鈴鹿山麓で命尽きたヤマトタケルの霊は大きな白鳥となり、大阪南河内の志紀で羽を休めた後、香川県(讃岐国)の東端播磨灘に面した松原に舞い降りた。仁徳天皇がそこに白鳥を祀る白鳥神社を造営したと伝えられているそうだ。そして江戸時代には門前町として栄えた。
《白鳥神社の社運は、江戸時代にもっとも栄えた。金比羅舟々……で有名な〈西のこんぴらさん〉と並び称され、〈東の白鳥さん〉といわれてきた。
参道の両側には、歴代の松平藩主寄進の神籠が立ち並んでいる。》
西のこんぴら、東の引田は『大日本行程大絵図』の赤丸が証明する通りだが、桑島によれば白鳥もこんぴらさん(明治までは真言宗の象頭山松尾寺金光院)とタイマンを張っていたらしい。
白鳥神社の松原にある桑島玄二詩碑
http://sumus.exblog.jp/17453034/
下は先の上京中にウィリアムモリスで読者の方より頂戴したコピーより。津島寿一の日誌に見える「在京香川美術会の人々」。津島は坂出(さかいで)出身の政治家。昭和三十九年に同会を結成し四十年に三越で作品展を開くことにした、その出品予定者リストである。

中原淳一の名前があるのはどうして? と思ったら、なんと大正二年二月一六日に香川県大川郡白鳥町で生まれていたのだ。知らなかった。ただし二才のときに徳島市へ引っ越しているが。