
『Myaku』Vol.4(脈発行所=那覇市曙3-20-1、二〇一二年一一月一五日、900円)特集・きみは、詩人高木護を知っているか。高木護については『辻潤著作集』の編集者としてしか知らなかったが、本誌によれば詩人、著述家として多くの作品を発表しておられる。かなり詳しい年譜も付されている。
《高木さんは不思議な人、定義できない人である。名詞や形容詞からはみ出る人である。穏やかで謙虚だが、それだけの人ではない、自分を能無しのバカというけれど、ひとつも卑屈でない。それでは孤高の詩人といわれるのはどうか。その通りのようだが、孤高のそぶりもなくあくまでも市井の人である。》(西谷普)
みち 高木護
ゆっくり
ゆっくり歩いていると
ゆっくり
ゆっくりみちがつづき
ゆっくり
ゆっくり見えてきて
ゆっくり
ゆっくり陽が傾き
ゆっくり
ゆっくり暮れてくる
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『雲遊天下』111号(ビレッジプレス、二〇一二年一一月二〇日)。岡崎武志「上京して二十三年で失ったもの」がとびきりのエッセイ。大竹昭子インタビュー(南陀楼綾繁)よりこんな発言が目に留まる。
《草森さん、片岡さん、わたしもそうですが、歩行しながらスナップするところが共通してます。三脚を立てて止まって撮るのとはちがう。歩くことは現実の中に出ていくことだし、その行為の中で自分自身が変わるし、出会う。草森さんは「追い出しコンパをする」というような言い方をしていますね。自分の部屋の中で資料と格闘しながら頭の中にいろんなものが渦巻いて、どうしようもないこんがらがった状態になったら、カメラを持って外に出る。カメラを持つことでより外に眼が向いて、自分の中が空っぽになっていくわけですね。その感覚はとてもよく分るんです。室内にいると妄想が膨らんで、うるさくなって、にっちもさっちもいかなくなったときに歩いたりするとパッとほどけるんです。》
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『日本古書通信』通巻1000号(日本古書通信社、二〇一二年一一月一五日)。おどろくべき号数である!
《ようやく通巻1000号特大号が校了になった。4年半前の日本文芸社ビルからの引越し以来の慌しさだった。引越しの時も仕事が詰まっていて準備が当日までにまるで整わず、生まれて初めてというくらいの情けない思いをした。今回は50頁を予定した古書目録原稿が60頁近くも集まり、嬉しい悲鳴の三週間であった。これが40頁止まりだったらやはり情けない思いをしただろう。出稿してくださった執筆者の方々と古書店各位に心から感謝したい。ありがとうございました。
この日誌がHP上に掲載されるころには、11月号も発売になっている。どんな反響があるだろうか。この記念号をきっかけに購読者や目録掲載店が少しでも増えて、1001号からずっと末永く号数を重ねられたら幸せである。そのための努力は惜しまない。》(編集長日誌より)
編集長日誌
http://www.kosho.co.jp/kotsu/editor.htm