
『近現代のブックデザイン考 I 書物にとっての美』(武蔵野美術大学 美術館・図書館、二〇一二年一〇月二二日、デザイン=中野豪雄)をご恵投いただいた。深謝です。目下、武蔵野美術大学美術館展示室2にて十一月十七日まで開催中の同展覧会図録である。
武蔵野美術大学 美術館・図書館 展覧会情報
http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/1488
泉鏡花本から始まって小林秀雄本で終わるくらいの時代の代表的な装幀本を造本・装丁・本文という章分けにしたがってたっぷりと展開している。ツルッとしたアート紙ではなく、さっくりとした手触りの本文紙を用いているため内容とよくなじんでおり、頁をめくる快感のようなものを味わえるように思う。写真(佐治康生撮影)も臨場感をもつように工夫されている。
テキストは大きな活字で組まれている。
写真もちょっと無茶じゃないというような本の姿をとらえている。だが、ふつうに読んでいるならこれくらい変型するのは当たり前だろう。これが紙の良さ。タブレット端末と決定的に違うところ。タブレットもこんなふうに曲げられるくらいに進化すれば面白かろう(不可能ではないはず)。
つづいて堀辰雄の装幀本の頁。収録されている大藤敏行「堀辰雄の純粋造本」によれば堀は出版がやりたかった。
《堀夫人の答えで今も私の耳に残っているのは、「主人はもしお金があったら、ほんとうは本屋になりたかったようですよ」という言葉であった。ここで言われている本屋とは、本を造ること、小さい出版社を興すといった意味合いである。》
これを読んですぐに吉岡実を連想した。吉岡は「吉岡実氏に76の質問」で老年の過ごし方ということについてこう答えているのだ、《自分の好きなものを書くかたわら、自分の好きな詩人や作家の本を出す限定本屋をやって行きたい》と。堀も吉岡も文学者のなかでは抜群の装幀センスをもっているから当然と言えば当然なのかもしれない。しかし、金や暇がなくてもやってしまうのが出版人というアブナイ人たちなのだから、ある意味これらは夢か戯言でしかない、という意地悪な見方もできる。ただもし今日に彼らが生きていたなら、また話は少し違ったであろう。
こういった書物が美しい本として取り上げられることは、少し前まではあまり考えられなかったような気がする。たいへんけっこうなことである。