
先日紹介した『
東京語辞典』の著者・小峰大羽についての情報を徳田秋聲記念館へ問い合わせてくださった方がおられ、本日いくつかの資料を頂戴した。上は企画展示「秋聲の本 明治篇 木版口絵と装丁の美」のガイドペーパーより。この紹介には歿年が記されていないが、歿年その他の経歴については『美術家人名事典 古今・物故画家300人』(日外アソシエーツ、二〇〇九年)の記載が添付されていた。
《小峯大羽 こみね・たいう
郷土史家,俳人,画家 「高潮」主宰
[生年月日]明治6年(1873年)2月15日
[歿年月日]昭和20年(1945年)5月24日
[出生地]東京都[本名]小峯邦寿[別号等]号=大羽楼大羽[学歴]東京府立毛筆画伝習所卒 文学を尾崎紅葉、絵画を狩野洞谷に師事。画家としては、富岡永洗の藻斉画塾の客員、新聞・雑誌の挿絵を手がけた。俳人としては、25歳から新聞・雑誌の選者をつとめ、「高潮」主宰。大正2年高山に転居。地元俳句結社の指導なども行った。飛騨史談会創立者の一人として、「飛騨史壇」の編集を担当。昭和7年名古屋に転居。編著に「俳句大観」「東京語字典」「蘭亭遺稿」など。》
文中「東京語字典」はママである。また『新潮日本文学アルバム別巻1 明治文学アルバム』(新潮社、一九八六年)の九十八頁に徳田秋声、小栗風葉、柳川春葉と一緒に撮影された写真が掲載されいていること、山田奈々子『木版口絵総覧 明治・大正の文学作品を中心として』(文生書院、二〇〇六年二刷)に見える小峰大羽の関連記事も教えていただいた。以下の図版は同書からである。村井弦斎の挿絵も描いている。


『徳田秋聲全集 第21巻』(八木書店、二〇〇一年)の「わが文壇生活の三十年〔1〕」には以下のように書かれている。
《その時分一番親しくしてゐた人は小栗なんかは別として、他に三島霜川、それから画家の小峰大羽といふ人、これは芸術的でないが、遊び友達見たやうなもの、一緒に物を食べに行つたり、遊びに行つたりする場合に、この人は非常に面白い人であつた。それから俳句も一緒に作つた。この小峰といふ人は紅葉さんの所へも出入りしてゐましたが、中々才人で、怠け者で、江戸児肌の面白い人だつた。》
なるほど小峰大羽のアウトラインはこれでほぼはっきりしてきた。しかしそれにしても大正二年にいきなり高山へ行ってしまうというのは、どういう理由なのだろう。飛騨高山は元禄八年以来の幕府領なので藩士の息子でもないだろうし……何らかの係累があったのか。