
『富山県立近代美術館所蔵 私の心臓は時を刻む 瀧口修造』(富山県立近代美術館、一九九八年)より「詩人の肖像」。某氏より頂戴した。なんとも不思議で美しい作品群である。これらデカルコマニーの実物は世田谷美術館の瀧口修展でかなりまとめて見た記憶があるが、やはりひとつ、盗んででも欲しい気がしたものだ。


百二点のデカルコマニー作品がフルカラーで収められている。デカルコマニーは紙などで絵具やインクなどを挟むことによって模様を作る手法。
《いわゆるデカルコマニーの手法は一九三六年か七年頃、シュルレアリストのオスカー・ドミンゲスが始めたもので、当時、私たちもこころみた。私と私の妻の「作品」が「みづゑ」のバック・ナンバーに掲載されているはずだし、一九三七年に刊行された「みづゑ」の別冊 ALBUM SURREALISTE の表紙は私が秘かにこころみたものである。実際、こころみたものであった。そして十五年目に、こんどは突然やってきた。向こうからである。》(瀧口修造が一九六二年一二月南画廊での自作展のために書いた文章より)
「みづゑ」の別冊はかつて本ブログでも紹介したことがある。
『ALUBM SURREALISTE みづゑ臨時増刊号 海外超現実主義作品集』
http://sumus.exblog.jp/13541064/
参考までにオスカー・ドミンゲスのデカルコマニー(décalcomanie)作品を。

《ひとつのイメージについて語ることはーー
そうだ、アンドレ・ブルトンの「ナジャ」のヒロインが気がふれたように口走る「なぜあの秤は、たどんのいっぱいつまった穴の暗闇のなかで左右にゆれていたんでしょう?」という、怖ろしい疑問を想わせずにはいないだろう。
私は眼をつむったまま、自分の展覧会のカタログというもののページを埋めるために、ふと浮かんだのはこの一行だった。実は、なぜとも知らずに。》(同)
「なぜあの秤は、たどんのいっぱいつまった穴の暗闇のなかで左右にゆれていたんでしょう?」の原文は以下の通り。たどん(炭団)は boulets de charbon ですか…。
"pourquoi cette balance qui oscillait dans l'obscurité d'un trou plein de boulets de charbon."

ブルトン『ナジャ』に掲載されているパリの炭屋の店頭。薪(bois)や割木(bois fendu)、木端(bois cassé)など用途に応じて量り売りされていたようだ。店の奥にたどん(木や竹の炭の粉末をつなぎ素材と混合し団子状にしたもの)も売られていたのかもしれない。
ナジャとお雪
http://sumus.exblog.jp/15402554/