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さかしまフランスの小説をそんなにたくさん読んでいる訳ではないが、というよりも小説そのものをそうたいして読んでいないのだが、限られた経験のなかで言えば、このジョリス=カルル・ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans, 1848 - 1907)の『さかしま à rebours』がもっとも小生の好みに合った小説だと断言できる。 「さかしま」は澁澤龍彦の訳書によるが原題通りに訳せば「さかさまに」。「rebours(ルブール)」は布地の毛並みと逆の方向を意味するそうだ。ア・ルブールで「逆向きに、さかさまに」。ようするに天邪鬼な男の物語である。物語といっても特別なストーリーはない。頽廃した家の孤独な貴族デ・ゼッサントが彼自身の超神経質なこだわり生活を細々と語って終始する。 絵画ではギュスターヴ・モローを偏愛している。文学的な趣味で言えば、自然主義を徹底的に憎み、日常から遠くはなれたラテン語の宗教文学などをコレクションしているというから、永井荷風の同時代文学への悪罵および江戸漢詩趣味と共通するところもあろうが、デ・ゼッサントの凄いのは自分の気に入った作品を職人を雇って手動印刷機で刷り上げるという徹底振りにある。 《こうして彼はボオドレエルの諸作品を、古いル・クレール家に伝わる素晴らしい教会活字によって印刷に付した。それはミサ典礼書を思わせる大型の判で、乳白色にかすかな薔薇色をほんのり滲み出させた、接骨木(にわとこ)の髄のように柔らかくふわふわした、ごく軽い日本の綿毛紙に印刷されていた。しかも、ビロオドのように艶々した真黒な支那墨で、たった一部だけ刷ったこの限定版は、驚くべきことに、その外側と内側を本物の牝豚の皮によって表装していたのである。千匹の中から選り抜かれたこの極上の豚皮は、肉色を呈し一面にぶつぶつの斑点を散らし、偉大な芸術家の手によって見事に調和せしめられた、黒い型押しの装飾文字を刻んでいた。》(澁澤訳、光風社出版、一九八七年三刷) 引用した訳文の後半にあたる原文を掲げる。「装飾文字を刻んでいた」というのはひょっとして誤訳かも? 《Cette édition tirée à un exemplaire d'un noir velouté d'encre de Chine, avait été vêtue en dehors et recouverte en dedans d'une mirifique et authentique peau de truie choisie entre mille, couleur chair, toute piquetée à la place de ses poils et ornée de dentelles noires au fer froid, miraculeusement assorties par un grand artiste.》(GF FLAMMARION, 1988) このGFの新書は昨年の納涼古本まつりで買ったもの。見ての通りの線引き○○○○○の連続。ここだけじゃないよ、ほぼ全ページにわたってこの調子。実際のところ線引きというのは必要なところだけにしておかないと何の役にも立たない。この旧蔵者による無差別線引き攻撃はおそらく読むためのリズムのようなものだったのだろう。後継者のこちとらとしては消しゴム片手にゴシゴシ消しながら読むリズムにならざるを得なかった。 全編いたるところ興味深い趣向が次々繰り出されるのだが、開巻間もなく登場する「喪の宴 un repas de deuil」 は忘れ難い。 《なかでも秀逸は、凶事を徹底的に茶化すために、十八世紀の習慣を復活させて、喪の宴と呼ばれる宴会を開いたことであった。 食堂は黒い布を張りめぐらし、庭園に向かって開かれていたが、庭園の小路には石炭の粉がまき散らされ、小さな泉水には玄武岩の縁石がめぐらされ、泉水のなかには墨汁が満たされ、築山には糸杉や松があしらわれて、急にその眺めは陰気な風景に一変したごとくであった。そして食堂では、黒いナプキンの上に食事が運ばれ、卓上には菫や山蘿蔔(まつむしそう)の花籠が置かれ、緑色の焔の燃える枝付燭台や、蠟燭の火の燃えるシャンデリヤが室内を照らしているのであった。》 《黒い縁取りの皿から、ひとびとは青海亀のスープだの、ロシア麦の黒パンだの、熟したトルコのオリーブだの、キャビアだの、鯔(ぼら)の卵の塩漬だの、フランクフルトの燻製ソオセージだの、甘草汁や靴墨色のソースで煮込んだ獣肉だの、フランス松露の煮凝りだの、琥珀色のクリーム入りチョコレート菓子だの、プディングだの、椿桃だの、葡萄のジャムだの、桑の実や黒桜んぼなどを賞味した。また暗色のグラスから、ラ・リマーニュ、ルーション、テネドス、ヴァル・デ・ペニャス、ポルトなどの各地方から産する銘酒を飲んだ。コーヒーと胡桃酒のあとには、ロシアのライ麦酒、イギリスの黒ビール、スタウトなどを味わった。》 「獣肉」はジビエ、「フランス松露」はトリュフの方が今なら通じ易いだろう。日本の醤油や海苔が出で来ないのが少々残念だが、黒づくしの食卓はかなり面白いと思う。『マン・レイ自伝 Man Ray AUTOPORTRAIT』にはペッツィ=プラント伯爵夫妻が開いた白づくめのパーティというのも登場していたが、人間、ヒマと金があれば似たようなことを考えるのかな?
by sumus_co
| 2012-09-12 21:47
| 古書日録
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