
『良寛展図録』(毎日新聞社、一九八〇年)を目録で買った。安かったと思ったら、やはり少々使い古しだった。ちょいちょいと拾い読みしていると、こんな水彩画が一枚挟んであった。一目、素人ではないなと思ったが、署名に思い当たらない。
朝に顔を洗うとき自分の顔を
じっと見る。いつのまにか八十一歳
歳[トシ]ばかりとっても、灰通[アクトウシ]の燃えがらに似て
雲谷村の
ふげ爺□[朱印白文=英]
床屋さんに行かなくなって何十年
裏面にも一文ある。
大きな油絵も描なくなり
描きたいなあ…としみじみ想う
けれども、それだけのエネルギー
もなくなり眼も弱くなりながらも
いつかいつかと思ひ想う
八十二歳
× × ×
四月
窓外残雪太陽さんさんと
窓外杉襖に
太陽はさんさんと 英一
雲谷之里□[朱印白文=英]
ずっと図録をめくっていって後ろの見返しまできたら、そこに大きく署名があった。濱田英一所有。早速調べる。青森を代表する画家のひとりだということが判明した。
濱田英一は一九一一年青森生まれ。今純三に師事。三七年二科展入選。六三年町田市に転居。一九九七年歿。画家の旧蔵書が処分されたのであろう。

図録より良寛が手習いをした『秋萩帖』(小野道風の法帖、原本は現在国宝に指定されているが、良寛の持っていたのは木版刷の版本)。良寛は署名の代わりに「おれがの」と書いている。オレガノの葉っぱではない(当たり前)。「俺のもの」の意味。解良(けら)栄重の「良寛禅師奇話」によれば良寛は身の回りのものに「おれがの」と書いていたようである。借りた本には念を入れて「ほんにおれがの」と書いたというから、笑って許していいのかどうか。

良寛「自画像賛」。良寛の容姿については《師、神気内に充て秀発す。其形容、神仙の如し。長大にして清痩(せいく)、隆準にして鳳眼、温良にして厳正、一点香火の気なし》とこれも解良栄重の報告がある(良寛の容姿を説明した唯一の文献とか)。