
有元利夫『もうひとつの空』(新潮社、一九八六年二月二五日)を久し振りに取り出して拾い読みをしてみた。有元利夫が画壇に現れた頃、七十年代の半ばだったが、ちょうど学生として東京にいた。七八年に安井賞特別賞を受けたときもその展示を西武美術館(?)で見た。安井賞そのものを受賞したときは記憶にないが、その翌年、ちょうど上京しているときに銀座の彌生画廊で有元の個展をやっていた。
日記によれば一九八二年一〇月一五日。彌生画廊の重厚な扉が開くと第一室。そこに有元本人が立っていた。画廊のスタッフと立ち話をしていたようだ。他に観客はいなかった。「あ、有元さんだ、背が高いな」とまず思った。第二室はやや広い空間で、照明が落とされ、安井賞受賞作が正面に飾られていた。日記の感想は五行ほど《デッサンが秀逸だった。タブローは形が甘いのが気にかかる》と生意気なことを書いている。有元三十五歳。小生は、え〜と、彼より九つほど年下だ。生きていれば有元利夫も六十代半ば。一体どんな絵を描いているだろうか、考えても詮無いことながら。

日記は日記でも本書に抄録されている有元の日記から、個人的な感傷で引用してみる。
《関根正二のデッサン展示、キッド・アイラックで見る。見て描く物と、イメージを描く物と二つの物があった。見て描く物のしっかりしたものが、やはり物をつくっている。》(一九七八年二月五日)
この関根正二展もはっきり覚えている。渋谷のキッド・アイラック・コレクション・ギャラリー(だったと思うが)は窪島誠一郎氏の画廊。小さなビルの何階だったか、細長くて狭い空間だったように思う。展示は素晴らしかった。関根正二の自画像(ペン画)のあまりの見事さに言葉を失った。
《若林奮さんと話す。思っていたよりはるかに柔軟な人物だった。そして、その基本に体ごとの感性が根づいている姿が見事だった。》(一九八三年三月二九日)
若林先生にはムサビの第一学年のときに共通彫塑で指導を受けた、というほどの指導ではなかったが(「これなに? あ、そう」くらいの指導)、とにかくカッコイイ先生だった。むろん作品もカッコ良かった(ムサビの図書館ホールに常設で展示されていた)、彫刻でもなくオブジェでもなく、ある意味難解といえば難解だったが、そこがまたカッコイイのだ。アートとはそういうものである。
《腹を決めて、点数などどうでもいいから、こわせるだけこわして、徹底的にやりぬいた作品を造ろう。文句を言わせない作品!!!》(一九八三年七月二二日)
そうだよな、その通り、とは思うのだけれど。「こわせるだけこわして」これが一番難しい。

一九八一年の彌生画廊での個展ポスター。これは印刷ではなく、リトグラフである。刷部数は多いけれども、版画作品には違いない。買ったのではなく、親しい画商氏が持っていたので何かと交換したのだったか。もう三十年にもなるとは、とうてい信じられない。
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コマ絵の作者は上から渡辺与平、長原止水、宇崎純一、竹久夢二(四点とも)。