
野田可堂の水墨画を買った。メクリ(関東ではマクリ)と呼ばれる表装していない状態だが、それにしても安かった。《甲寅秋日写/文晁之意 可堂》と書かれている。甲寅は一九一四、大正三年。《文晁之意》は谷文晁のおもむきで制作したという意味だろう。白文の印は「埜田之印」、朱文は「可堂」……と知ったふうな書き振りながら、じつは野田可堂についてはまったく何も知らない。検索してみると、こんなブログの記事があった。
《可堂は三歳頃から可呈[可亭]に書を習い、神童のほまれも高く十歳で大正天皇の御前で書を献上したりなどしたがその後はGHQのデザインや無声映画時代のタイトル画などの仕事をし、晩年は猫と鳩と犬のデッサンなどして過ごした。/子供の頃、魯山人と可呈[可亭]に連れられて全国を行脚したらしい。晩年この時代を回想し「二人は興行師のようだった」と言っていたらしい。》(
室井絵里のアート散歩 岡本太郎美術館・北大路魯山人と岡本家の人々展)
要するに、この展覧会の図録に当たれば、ある程度の情報は得られるわけだ。岡本太郎美術館では売れ切れのようだが、日本の古本屋に何冊か出ているので、いずれ手に入れよう。
178 長楽帖「武楽」 1909 年頃 紙本墨書
179 長楽帖「海老図」 1909 年頃 紙本墨彩
180 蘭図 1910 年頃 紙本墨彩
181 楼閣山水図 1911 年頃 紙本墨彩
これら可堂の絵が四点掲載されているらしい。ということで、目下のところ生没年も分からない。検索しても上記ブログ以外にはヒットしないようだ。《十歳で大正天皇の御前で》が正しいとすれば、どんなに早くても一九〇二年以降の生まれ、天皇即位以後だとすれば一九〇五年以降だということになる。大正三年は十歳前後?……それにしては、こなれすぎているだろう。ま、いずれ分かる。
この印章が魯山人の彫りだったりしたら、めっけものなのだが、はは、は。魯山人の篆刻はこんなにまとまってないかな…。
『芸術新潮』一九七九年十一月号掲載
八幡真佐子「魯山人おじさん」については下記参照
http://sumus2013.exblog.jp/21587922/