先日、今日出海「地獄の季節」のコピーを牛津先生より頂戴した。深謝。『新文学研究』第一号(金星堂、一九三一年一月)掲載。小林秀雄『地獄の季節』(創元社、一九三〇年一〇月二五日)の紹介文である。
《日本の現文壇には仏蘭西文学の翻訳が漲つてゐる。どれもランボオより出でた新しい文学である。然るにランボオが常に閑却されたのは一つの不思議に他ならない。》
《ところで小林秀雄が一年有余日々この翻訳にあたつて、やつと完成したことは、喜んで余りある。ランボオと小林秀雄、この組み合はせに関して、私は長々しい論文の題目を発見する。小林の頭脳は杜撰な批評家の頭には一つの神秘であらう。小林の正しい論理を奇智といふコケすらゐる程だ。だが漠然小林は並々ならぬ存在であることは解られて来たやうだ。「地獄の季節」一篇はランボオを理解するために、新しい文学を建設するために、そして小林秀雄を理解するために、充分な意義を有するものと私は確信する。
終りにこの本の装幀は、近頃出版されたどの本よりも美しく立派だ。佐野繁次郎の腕は勿論、彼の理解の方向が正鵠を得てゐることを賞讃する。》
ランボオがまったく閑却されていたわけでもないだろうが(メルキュール・ド・フランス版のランボオ作品集が出たのが一九一二年。日本初訳とされるのが柳澤健『詩集果樹園』東雲堂書店、一九一四年一二月二〇日、に収められた「醉ひどれの舟」)、これをランボオと小林の出会いとして考えるべきだというのは正しい判断だと思う。
佐野の立体派ふうのデザインを《彼の理解の方向が正鵠を得てゐる》と評価するということも、佐野を含めて小林や今ら新しい世代のランボオ解釈だったに違いない。
アルチユル・ランボオ『地獄の季節』函、表紙は下記参照。
http://sumus.exblog.jp/7237571/
『新文学研究』第二号(金星堂、一九三一年四月)の広告頁も興味深い。第一輯に上林暁が「昭和五年後半期の芸術派」を執筆しているのが不思議な感じではある。
閑話出題(といってもたいていがすべて閑話なのです)。本日突然デジカメが不調になって、まったく写らなくなってしまった。これはやばい。以前使っていた古い機種を取り出して『地獄の季節』を撮ったのだが、暗いところの撮影はグッとレベルが下がる。シャッター速度もイラつくほど遅く感じる。やれやれ…。