
『黄葉夕陽村舎詩』(積玉圃、柳原喜兵衛、心斎橋通北久太郎町)。黄葉夕陽村舎詩五冊、黄葉夕陽村舎遺稿四冊、黄葉夕陽村舍文四冊。早稲田大学図書館にある『
黄葉夕陽村舎詩』弘化四(一八四七)と同じ版木だろうが、発行は明治期と思われる。文化九年に詩が上梓され、文政六年に詩後編(以前書き入れのある端本
『黄葉夕陽村舎詩後編』を取り上げた)、さらに天保、弘化と増補されたようだ(正確ではないので、ご確認を)。十三冊が最終形態らしい。明治二十九年に金刺芳流堂から、昭和五十六年には葦陽文化研究会から一冊本が出ている。
少し前、某書店のレジ横に積んであった。虫食いがすごいので十三冊まとめて千円だった。かなり迷ったが、もし綺麗な状態だったら…などと妄想してしまい、つい買ってしまった。いまだに富士川英郎『菅茶山』(福武書店、一九九〇年)さえ求めてないのに…。
七夕は曝書(ばくしょ)の時節だという(あれれ、とっくに過ぎてますけど)。風を通すつもりで十三冊平たく並べてみた。むろんもう虫はいない。かじり跡が軽くくっついているので、そっと各頁を剥がして自由にする。部分的に読みにくいところはあってもまったく読めないというわけではない。
パラパラっと読むでもなく開いていると「讃州」という漢字が目をかすめた。おンや? 詩付録下の「康定爵」という一文。戊午之冬というから菅茶山数え五十一歳、寛政十(一七九八)年。故郷に戻る路で岡山の斎藤文貫に宿した。文貫こと斎藤九畹(きゅうえん)は岡山藩士で大目付にまで上った人物。茶山より十ほど年下だったらしい。当然酒に及ぶ。文貫は古色鬱然(うつぜん)とした爵(しゃく)に酒を盛ってもてなしてくれた。その爵の胴には「康定」と大きく彫られていた。それを見た茶山はびっくり仰天(乱草如驚蛇)。どうやってこれを手に入れたのだと問いただした。
余曰康定是宋仁宗年号距今八百年所吾子何以獲之
文貫笑曰五年前遊讃州過丸亀市見之骨董店
我為不知問是何物店翁答曰古燈盞問其価答曰五百文遂買載帰也
「五年ほど前に讃岐の丸亀の骨董屋で見つけました。親父にこれは何だとたずねたら古い灯皿ですよというので、いくらだと尋ねたら五百文だと。それで買って帰ったんですよ」との答えに感じ入った茶山であった。これを使っていた大昔の人間達はすっかり忘れ去れて悲しむ人もいないが、この爵はちゃんとこうやってわれわれの前に残っているんだなあ…。
爵は灯皿などではなく、酒を温めるための器で、古代から用いられていた。康定は宋の元号。一〇四〇年だが、その頃の爵とはどんなものだろう? 五百文はいくらか? 仮に、そば十六文が今の五百円とすれば、およそ一万五千円少々になる。これは掘り出しものだろう。

奈良国立博物館所蔵の青銅爵(中国・晩商二期 紀元前15~紀元前11世紀)。