
『日本美術工芸』第五十一号(日本美術工芸社、一九四七年七月一日)より明石染人「祇園会とゴブラン織」。函谷鉾前懸、鶏鉾見送、白楽天山前懸、蘆刈山前懸、油天神山見送、露天神前懸、鯉山前懸・胴懸・水引・見送、この他に旧菊水鉾見送(断片として残る)などがゴブラン織(正確には綴織懸氈=タピスリーとすべきであるとのこと)だったという。鶏鉾のゴブラン織は長浜市八幡神社の鳳凰山見送と一対になるそうだが、その売買の証文が残っている。
《これで見ると文化十四年三月八日(一八一七)室町の巻物問屋(今日の洋反物問屋と云ふ意味。氈通、羅紗類は畳まず巻物として取扱ふ故にこの称あり)に和蘭船で舶載されたであらうゴブラン織を伊藤勘兵衛(白粉屋勘兵衛と同一人なりや否や不明)が買ひ、藤倉屋十兵衛が売主となつて長浜の鳳凰山組(組町は祝町、西魚屋町)に売渡したものであらう、その代金双方共二百両とあるは手数料は売主、買主どちらからか得たものであらうし額面に現はされてゐないところがその頃の売買契約で興味深いものがある。》
古渡毛綴織見送一枚、二百両……二千万円?

本書掲載の「巴里ゴブラン綴氈工場作業図」、背広にネクタイのサラリーマンのような職人たちである。ネット上にこの元写真と思われるゴブラン工場発行の絵葉書が出ていた。

《因に、私はゴブラン織に就てのみ述べたが、実はこれに比肩すべき古渡の名品が祇園山鉾懸装にいま一つある。華氈ー波斯及び近東各国製の華毛氈である。絶妙多彩なアラベスクの構成する毛氈(カーペツト)こそは又別の夢幻の世界である。月鉾の前懸及び左右胴懸、鶏鉾の胴懸(万暦氈と通称のもの)、月鉾の胴懸、放下鉾の前懸、胴懸、岩戸山の前懸、胴懸、北観音山の前懸、胴懸などがそれで今はない鷹山の前懸も紅毛渡の華氈であつたといふ。》
マン・レイ石原氏によれば今年は北観音山の京都生活工藝館・無名舎にて
南観音山の旧前懸・障屏山水文様とインド更紗印度東南部で発見された巨大更紗が展示されているというから、祇園祭における染織コレクションの壮大さと幅広さ、ひいては京町衆の黄金力を再認識する(山鉾はインド発祥だとの説もあるそうだからあながち無関係ではないかもしれない)。
なお本書の出た昭和二十二年は十八年より中止されていた山鉾巡行が復活した年である。