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石坂洋次郎「若い人」をよむ 妖しの娘・江波恵子

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柏倉康夫『石坂洋次郎「若い人」をよむ 妖しの娘・江波恵子』(吉田書店、二〇一二年七月六日)読了。面白かった。柏倉先生、近年じつに精力的に著作を刊行されているが、そのいずれもが厖大な情報量をはらみつつ非常にスマートに整理されている。とくに本書は構成そのものがユニークで、しかも綿密に計算されており、小説と評伝がないまぜないなったような、これまであまり読んだことのないような読後感であった。

基本線は石坂洋次郎の代表作のひとつである『若い人』(『三田文学』連載の後、初版は正続二冊ともに改造社一九三七年、訂正版が一九三九年、新日本文学全集版が一九四一年)を梗概(あらすじ)として描き直すことである。主人公間崎・江波・橋本の三角関係を軸に、とくにヒロインである美少女江波恵子の行動と性格分析に力を注ぎながら、じつに見事に再構築されている。

柏倉氏は『若い人』を十五歳のときに読んで感激し、高校時代にスタンダールの『赤と黒』をクラシック・ラルッス(フランスの学生用に、原作の抜粋に多くの注釈をほどこしたもの)で読み、さらに大学生になって原文で全編を読んだ、それが氏の読書の喜びの原点になっている。そして本書の著述の原動力でもある。

私事ながらパリの宿の本棚に『赤と黒』のペーパーバックが挿してあったのでふと手に取って読み出してみたら素晴らしく読みやすい名文だったことにびっくりした(日本語では大昔に読んでいたものの、これほどとは思わなかった)。といっても途中で帰国してしまったので中断してそのままになっているのだが…いずれ続きを読みにパリに戻ろう。

《かつてあれほどもてはやされた石坂洋次郎の本が、いつのまにか書店の棚から姿を消してしまった。初期の短篇集『わが日わが夢』や、『若い人』、『麦死なず』、そして故郷の津軽を舞台に、戦後の風俗を活写した連作『石中先生行状記』を読むには、古本を探さなければならない現状は、まことに残念なことである。この一冊が、『赤と黒』のクラシック・ラルッスの抜粋本のように、原作をまだ読んだことのない若い読者や、かつて『若い人』を読んだ世代の人たちが、作品を手にとるきっかけになれば望外の喜びである。》(あとがき)

あらすじを読んでいて、やはり昔一度は読んだことのある作品だと思い出した。江波という女生徒の「境界例」と本書では診断されている複雑な行動パターンをハラハラしながら読んだような気がする。このあたり石坂洋次郎の真骨頂というのか、話の運びの上手さを感じさせる。ちなみに『石中先生行状記』は宮田重雄の装幀なのでたぶん今も持っている、ただし郷里の書庫。『若い人』初版は鈴木信太郎装幀、今もかつても所持せず。

石坂は同じく弘前市生まれの葛西善蔵に私淑していた。大正十四年に郷里で教職に就いた石坂を頼って葛西が弘前へやってくる。その作家としての破天荒な生き方を真正面から受け止めて、石坂は深くひきつけられながらも辟易しつつ自らの道を探すことになる。『金魚』という作品に葛西との葛藤の周辺を描いているが、柏倉氏は葛西という存在に江波恵子のオリジンを見るのである。

《では江波恵子はどうか。『金魚』には彼女の前身は見当たらないようにも思えるが、頽廃的な滅びの精神を生きる作家野村[葛西善蔵がモデル]こそが、それに当たるとも考えられる。事実、坂口[石坂自身がモデル]はこうした野村を、「恋人のような恍惚とした眼差しで見守る」(同書、一三八頁)のである。》([ ]内は引用者註)

これは鋭い指摘ではないか。そして葛西を反面鏡として自らの道を見いだした石坂の方法論とは次のようなものであった。

《出来るだけ一般の人々を喜ばせる小説を書きたいといふことだ。鋭いのはいけない、強いのはいけない、難しいのはいけない、だが卑俗なのもいけない。では何を書くんだ? まあともかく何かさう云つたものを」(『雑草園』中央公論社、昭和十四年、一一〜一二頁)》

この自問自答は昭和十四年という時期を考えるといかにも本質的なものだったろう。破滅型の私小説から出発した石坂が、横光利一の純粋小説論が話題を呼び、プロレタリア文学と探偵小説という二大エンタテインメントの嵐が吹き荒れた季節を経て、ここへたどり着いた。むろん石坂だけの問題ではないだろうが。

獅子文六の再評価さえも叫ばれている(かどうか知らないが、最近『日本古書通信』に獅子研究の連載があったのは確か)今日、石坂洋次郎が文庫で読めないというのは、あまりにも寂しくはないだろうか。藤澤清造でさえ読めるのだから! まずは本書をひもといて石坂洋次郎の真価がいかなるものか実感していただきたいものである。

吉田書店
http://www.yoshidapublishing.com/
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by sumus_co | 2012-07-03 21:58 | おすすめ本棚
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