京都祇園の何必館・京都現代美術館で開館三十周年記念の村上華岳展が開かれている(十日まで)。華岳はこれまで何度も見てきた。大阪生まれながら京都で青年時代を過ごし、晩年には芦屋ついで花隈で制作した。兵庫県美にまとまったコレクションがある。名古屋の愛知県美術館でも上質な展示を見たことは以前書いた(
http://sumus.exblog.jp/10564811/)。
それほど好きな画家というわけではないが、雰囲気は嫌いじゃない。文字もちょっと変った書き方だ。良いような、さほどでもないような。それでも出かけたのは、某氏が招待状の封筒を呉れたからである。無料なら喜んで出かけよう。美術展のレセプション招待状は、招待日に行けない場合、その封筒持参で入場無料というシステムになっている。
この美術館は前にも書いたかもしれないけれど、狭いエレベーターだけしかなくて、これが不便である。一階の次に三階へ上がり二階へ階段で降りて(二階と三階の間は階段が使える)、そこからエレベーターで五階へ(四階は入れない)。五階に座敷と外光を取り入れた庭がある。これはちょっとしたもの。その座敷に風炉先屏風(華岳が字を書いている)、そして床の間に「太子樹下禅那」(上のチラシの作品)が掛けられていた。
手前の土間(といってもタイル敷き)から二間はゆうに離れている床の間で「太子樹下禅那」が障子窓からの光でキラキラ輝いている。顔料だけでなく金や雲母(?)のようなラメ的な光沢をもたらす材料を使っているようだ。
「あら、あれがそうなの。見えないわねえ」
すぐ脇で中年女性が不満そうにつぶやいた。会場にはかなりの入場者がいた。ただし平均年齢は七十くらいかもしれない。華岳はけっこうモダンな画風だと思っていたのだが、若いファンは少ないようだ。
「あなた、見えます?」
その女性が話しかけてきた。こちらに振られても…。
「う〜ん、たしかに光ってよく見えませんね」
「ご遠慮ください…って、やっぱり入っちゃだめなのかしら、もっと近くで見たいわね。床の間の前あたりで」
「ふふふ、よく見えないくらいの方が有難味がありますよ」
「でも、ぜんぜん見えないわ、下の階にあった地蔵さん、あれ、とっても良かったでしょう?」
「(ほう、そうきましたか)ええ、たしかに、あれは目近で見られますね」
分厚いガラス越しに間近で見るか。遠く離れて直接見るか。さてどっちがいいんだろう。しつらえもまた作品の善し悪しを左右するという意味では、後者が鑑賞のあるべき姿なのかも知れないが、さりとてキラキラしているだけの印象というのも困ったものだ。