
福岡市文学館開館記念『カフェと文学 レイロで会いましょう』(福岡市総合図書館文学・文書課、二〇〇二年五月二五日、デザイン=石原一慶)展図録。福岡の戦前の文学、各種同人雑誌のおおよそが見渡せる構成である。その内容は分からないが、見た目で判断すると、劉寒吉編集で表紙を青柳喜兵衛が担当していた『とらんしつと』(とらんしつと詩社、一九三二年〜三六年、二十二冊)は古本心をくすぐられるいい佇まい。
カフェーブラジレイロは東中洲の西大橋の袂に昭和九年四月六日に開店した。本店は大阪梅田新道(昭和五年開店)、銀座(昭和五年開店)、神戸三宮(昭和六年開店)、四条河原町、博多の順に支店を展開していった。ブラジルコーヒー十五銭、ケーキ十銭、カレーライス四十五銭、ランチ六十銭。「福博カフェ史」には、大正三年カフェーキリンが福岡市内に開業。大正六年生田菓子店が東中洲電車通りに開店。大正九年西中洲にカフェーブラジル、東中洲にカフェーパウリスタが開業。昭和三年明治製菓が東中洲に、台湾物産フルーツパーラーが片土居町に開店。同年、喫茶店山の家(青柳喜兵衛設計)開店などとある。
矢山哲治が真鍋呉夫と出会って雑誌『こをろ』の発刊を相談したのが喫茶店メトロ(東中洲)、第一回同人会が開かれたのがブラジレイロだったというように同人雑誌と喫茶店の関係は切っても切れない。『こをろ』(一九三九年一〇月創刊〜四四年四月、一〜四号まで『こおろ』)もなかなかいい雰囲気だ。九州帝大法学部の学生だった島尾敏雄も編集に加わっていた。また真鍋の母は昭和十四年十月十日の創刊日と同じ日に喫茶店「木靴」を開店した。真鍋の父甚兵衛は俳人で吉岡禅寺洞とも幼なじみだったという。翌年、当局の指導により「門」と改名しおよそ五年間営業を続けたそうだ。コーヒーは二十銭。
旧制福岡高校卒業アルバム(昭和十六年卒業文科乙類クラス)。これは若き日の伊達得夫が「高校生活の総決算のつもりで」編集したということで、二枚の写真の右の「悪の華」の上に寝る学生と左の中央左の「ストーム」中の若者が伊達の勇姿だそうだ。
「古本屋にて」とだけキャプションがある。これも卒業アルバムからだろうか。
『カフェと文学 レイロで会いましょう』表紙。
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杉山さんに続いて吉田秀和が亡くなった。著作などほとんど読んだことはないけれど、かつてラジオでの解説は毎週のように聴いていた。お二人ともに中原中也を直接知っていた人たちだ。ということで中原中也記念館の年間カレンダーを掲げてみた。表紙の『在りし日の歌』は言うまでもなく青山二郎の装幀である。もし中也が生きていれば…百五歳か。
中原中也記念館
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