青木正美『古本屋奇人伝』(東京堂出版、一九九三年)読了。なぜかこれまで読んでいなかった。
『ある「詩人古本屋」伝 風雲児ドン・ザッキーを探せ』(筑摩書房、二〇一一年)、『ある古本屋の生涯 谷中・鶉屋書店とわたし』(日本古書通信社、二〇〇六年)、『古書肆・弘文荘訪問記―反町茂雄の晩年』(日本古書通信社、二〇〇五年)と古本界の伝説的人物の評伝を次々と手がけておられる青木氏。その古本屋伝としては最初の一冊と言っていいようだ。
「明治堂書店主・三橋猛雄」が力作。
《……ある同業者から「もっと善本を扱いなさい、エネルギーの浪費だ」と忠告された。「金額物を扱わなければ損ですよ」とも言われた。しかし私には業界でいわゆる一流品というものと、自分の扱っているいわゆる雑本とどこが違うのか判断できない。商品として一万円と百円の本は百倍の相違があるが、一万円の本より百円の本を喜こんでくれる客もいる。そういう客への奉仕によって自分の生活の資を得ている今日迄の生活を、私はいささかも悔いていない。》(「新春夜行列車」『古書月報』昭和23年1月号)
《ある同業者》とは三橋の究極のライバルであった反町茂雄だと青木氏は推測しておられる。
もう一人、反町をつねに目標としていた「蒐文洞主・尾上政太郎」(
山口誓子のエッセイ集『宰相山町』に登場)もじつに面白く描けている。
《大阪の同業者から聞いた話だが、政太郎はその抜群の目利きから、本の掘り出しも名人だった。特に人から頼まれた本、これはあの人が欲しがるだろうという本は忘れなかった。それを求めるが早いが、政太郎はわずかの利づけで顧客に譲り、客の喜こぶ顔を見るのを本懐とした。寝せて高くなるまで待つとか、客の足元を見て高く売りつけることなどは全くない性格だった。その性格は、戦災で全てを失ってからますますきわ立ったようで、今や政太郎の執着は「古本屋日記」にしかなくなっていたのかもしれない。》
文中「古本屋日記」は政太郎が四九九冊まで書き続けたという貴重な古本記録。これを青木氏は高く評価しており、同業者を撮ったポラロイド写真を即座に日記帳に張り込む様子などを活写しておられる。本と美人と酒を愛した尾上政太郎が日記の最終頁に記したといわれる歌。
どうせこの世は神さんまかせ
おむかえくるまで生きてやる
関口良雄の評伝もよくまとまっているが、上記二人と比較するとやや淡白な感じがする。ただ上掲の写真にはぐっときた。(右側の関口良雄の笑顔、街の草の加納さんに似ていないかな?)