
『詩人』第一巻第五号(矢代書店、一九四七年八月一日、表紙=庫田叕)を上京中に入手できたのがいちばんの収穫。これで六冊あるという内の五冊まで揃った。目次を掲げておくが、見ての通りこの号はかなり充実している。
詩人 創刊号
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詩人2, 3, 4
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草野心平「尾形亀之助について」は本文の方では「彼は詩人だった 尾形亀之助のこと」という表題になっている。
《尾形亀之助の想ひ出をかかうと思つて二三日、多分雨とでもいふ題なのだらう、ずゐ[ママ]ぶん初期の日の詩の一節をふと想ひおこした。同時に彼のシユーベルト眼鏡を想ひおこした [句点なしママ]尾形の近眼は相当ひどかつたらしいが普段はかけずに机の抽出しなどにしまつてあつた。道玄坂のシネマハウスで明るくなつた幕合[ママ]ひに偶然みつけた彼が例の「シユーベルト」をかけてゐたので不思議に思つたことがある。
彼は近眼でも眼鏡を必要としなかつた。彼は別に景色や人間をよく見ることにはさう興味などを持たなかつた。》
《諏訪にゐることが分つたのはそれから数日たつてからだつたが、私達は彼の死を怖れた。彼に会つてフランス行をすすめ、一応彼が承諾したなら仙台に行つて多額納税者である彼の父親を納得させようといふことになつた。発案者は高村さんで仙台行は私が引き受けることになつた。
高村さんがアトリエからうづ高い本を風呂敷に包んで白山の古本屋に売つたら旅費にはありあまつたので、逸見もはいつて三人で夏の暮でも桜の咲いてる神田の妙なカフエでのみ、私達のプランはもう出来上つたやうな気持ちで私は中央線の夜汽車にのつた。上諏訪布半別館のタイル張りの風呂の中で私は、どうだいと、私達の仕組をうちあけた。彼は
「お互ひによそうや。ひとのことに関与するのは」それが返事だつた。
「あの山はなに山だい?」
湖のほとりを散歩しながらさう聞いた私に
「草野山だらう。」
ぽつんとそれだけが返事だつた。
私は業を煮やし喧嘩みたいになつて別れた。》
《再び東京に舞ひもだ[ママ]つた彼等の根岸権現前の駄菓子屋の二階の生活がこれから始まつたのである。
相当貧乏な生活ではあつたが、毎日のやうに風呂にはいりその度ごとに三助をよび、毎日のやうに玉を突き夜は寿司屋でのんでゐた。大概それはツケであつた。
そして到頭仙台落ちになるのだが、汽車の切符も二等を寿司屋に買つてもらつたのだつた。さういへば諏訪からの時も二等で私の家に現れたとき着てゐたのは宿屋のおやぢのセルでゆかたと取り換え[ママ]てきたといつてゐた。》
草野の尾形への友情あふれる文章に尾形の不思議な生き方がうかがわれる。文中《根岸権現前》は根津権現前だろうか。