
しばらく前に高桑義生『洛西景観』(高桐書院、一九四七年三月二〇日)を頂戴した。京都叢書の7である。馬場新二が発行人だった時代の高桐書院が出したシリーズ。断言はできないが、九冊出ているようだ。
1 京都の古建築 藤原義一
2 石造美術と京都 川勝政太郎
3 京の庭 重森三玲
4 大和絵 下店静市
5 京言葉 楳垣実
6 京都洋画の黎明期 黒田重太郎
7 洛西景観 高桑義生
8 織物の西陣 佐々木信三郎
9 京洛遊草 吉井勇
高桐書院 京都叢書
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高桑義生(たかくわぎせい)は明治二十七年東京生まれ。本名義孝。旧号士心。作家・俳人。新聞記者・雑誌記者のかたわら大衆小説を書き、白井喬二らと時代物小説の先駆となった。昭和十二年より日活京都撮影所脚本部長、三十三年まで大映撮影所企画室長。昭和四十八年、臼井喜之助の急死により俳誌『嵯峨野』の主宰となった。有季定型を基本として一流一派に偏しないことをモットーとしている(『現代俳句辞典』角川書店、一九七七年)。昭和五十六年歿。
高桑は嵯峨天竜寺に住まっていたようだ。
《わたしはたそがれの嵐山中島公園を横ぎつて、新京阪に乗るとすぐ松尾神社に降りた。句会の席へ行く前に、わたしは神社とは反対の川岸に出て、松尾橋に立つた。橋は去年の水でまんなかが落ちたまゝ、まだ修理も出来ず、渡舟が通行者を渡してゐた。三人ばかり乗せた船が向う岸に着くと、もうそれぎり通行者もなく、船も何処かへ行つてしまつた。》
《この河原では、よく友禅をさらしてゐた。きれいな水に流れるさまざまな彩りは、見てゐても飽きなかつた。それを日のあたる河原の小石の上に乾したり、また干場をつくつてかけ流したり、帯のやうな色とりどりの布が風にひるがへつてゐる有様は何ともいへない美しいものだつた。加茂川の友禅ざらしを見られなくなつた今日ーーといつてももう三四年以前であらう、松尾橋の美しい風景の一つだつた。》
昭和二十一年に書かれた文章らしいが、現在、この近隣に住むものとしては、まったく想像もつかない風情である。松尾橋はコンクリートになり、四条通りから九号線へ抜ける近道として朝夕はたいてい渋滞している。また河原の小石の上では友禅干しどころか、休日にはバーベキュー族が押し寄せて半端じゃない賑わいを見せる。渡し船など思いもよらなかった。ただ、この橋から川沿いに嵐山方面へ向かうコースは今もまだ美しい景観を残している。それが救いであろう。