
リンゲルナッツ『運河の岸邊』(第一書房、一九四一年三月二五日)が舞い込んで来た。これは嬉しい。本としてはかなり疲れているし、元来がそう上出来の造作ではなかったようだ。第一書房の本はどれもだいたい大人だましの風情があって、一部に名高いほどには感心しない。しかし、この一冊は特別である。板倉鞆音の「まへがき」がなんとも素晴らしい。
《「君は僕の詩を訳したいと言つてゐたさうだが、僕の詩は非常に難しい。」
と、ヨアヒム・リンゲルナッツは言つた。
僕は、僕を独りこんな窮地へ追ひ込んだウィルトガンスを恨んだ、さうしてリンゲルナッツの前で大いに恐縮した。
それからこの詩人はくだけた調子で色々な話をした。
船乗りだつたころ世界中随分方々へ行つたが日本だけは行く機会がなかつた、いま行つて見たいと思ふ所が二つある、一つは日本、一つはアメリカだ、その日本も然し東京や横浜や富士山などには興味はない、行きたいのは千島列島だ、あそこは素晴しい所らしい、等々。
おしまひに自分の伯林の住所を書いて、
「君、僕の詩を訳することになつたらどうかここへ言つてよこしてくれ。」
さう言つて立つて行つてバアのとまり木につかまつてしばらくはグラスをかたむけてゐたが、また僕の卓子にやつて来て、
「君、僕の詩を訳すのだつたらどうか僕の所へ言つてよこしたまへ。」
さう言つて出て行つた。その後姿を見送り乍ら、リンゲルナッツは少し酔つばらつてるなと僕は考へた。
ところがそれから三日ばかりの後である。僕は思ひがけなくもこの詩人のハガキを受け取つた。それにも同じやうに、僕の詩を訳すのだつたら言つてよこしてくれといふことが繰り返されてゐた。》
と、このへんで止めておこう。なお、この継ぎ表紙の紙は何種類もあるそうだ。下記サイト参照。
四行詩集日乗
板倉鞆音訳、リンゲルナッツ著『運河の岸邊』(第一書房)
『Bibliophil 』と『運河の岸邊』
http://sumus.exblog.jp/10588545/