
『山海経(せんがいきょう)』(高馬三良訳、平凡社ライブラリー、一九九八年八刷)というとこの本しか架蔵しないが、唐本で持っていたいタイトルではある。魯迅は叔祖(シューツー、祖父の弟、父の叔父)が持っていた絵入りの『山海経』が欲しくてたまらなかった。以下引用は『朝花夕拾』(松枝茂夫訳、岩波文庫、一九五五年)より。
《この老人はまことに寂しい人であった。誰ひとり話し相手になる者がないところから、子供たちと交際することを好み、時には私たちを「小さき友」と呼びなすことさえあった。私の一族の同居していた屋敷中で、彼が一番沢山書物を持っており、しかも変ったのがあった。八股文や試帖詩(国家試験の参考書)も無論ありはしたが、私は彼の書斎ではじめて
陸璣の『毛詩鳥獣草木虫魚疏』を見た。その外にも聞いたこともない名前の書物が沢山あった。私がその頃一番好んで見たのは『花鏡』であった。その中には図が沢山はいっていた。彼は私に話して聞かせた。もと絵入りの『山海経』を持っていたが、それにはいろんな絵があった、人面の獣だの、九頭の蛇だの、三本脚の鳥だの、翼の生えている人間だの、頭が無くて両乳を眼としている怪物だの、……惜しいことに今はどこへ置いたかわからんが、といった。》
幼い魯迅の世話をしていた下婢の阿長(アーチャン。名前ではなくあだな、以前いた下婢がそう呼ばれていたから慣例となったそうだ)が、あまりに思い詰めているのを見かねて買って来てくれた。
《とにかく彼女が暇をもらって里に帰ってから四五日後のことだった。彼女は新しい紺木綿の衫[ながぎ]をきて帰って来たが、私の顔を見るなり、一包みの書物を私に手渡しながら、上機嫌に言った、ーー
「坊ちゃん、絵入りの『三経[サンホンジン]』ですよ、坊ちゃんに、買って来ましたよ!」
私は何だか霹靂に打たれたように、ぶるぶるッと武者ぶるいをした。いそいで受け取って、紙包みを開けてみると、小っちゃな四冊本だった。バラバラめくって見た。人間の獣も、九頭の蛇も、……なるほどみんなついていた。》
《この四冊の本こそ、私が一番最初に手に入れ、一番心から愛した秘蔵の書物であった。
書物の姿は、今なお眼前にちらついている。だが今なお眼前にちらついている姿から言うと、それは版も刷りもまことにお粗末な本でしかなかった。紙はひどく黄ばんでいた。絵図も悪く、殆ど全部が直線を寄せ集めたようなもので、動物の眼さえどれも長方形だった。しかしそれは私の最も心から愛する秘蔵の書物で、眺めておると、確かにそれは人面の獣であった。九頭の蛇であった。一本脚の牛であった。》
なお元々の『山海経』がいつ頃成立したのかははっきりとは分からない。紀元前であることは間違いないようだ。文中には古代の日本も登場している(海内北経)。倭の国。
《蓋国は燕の南、倭の北にあり、倭は燕に属す。》
この後に《蓬莱山は海中にあり》とあって、それは富士山だとされている。