『明治十二年太陽略本暦』(頒暦商社)。
熊田司さんの個人誌『えむえむ』が暦特集だったので、そうだ、うちにもいくつかあったなと思って取り出してみた。
頒暦商社(はんれきしょうしゃ)は明治時代初期に官暦の発行を独占的に行っていた組織である。江戸時代の暦師を集めた団体だったが、結成されたとたんに太陽暦に改暦という詔勅が出された。大損害を受けたため、その救済策として文部省は明治六年から十年間、官暦出版の独占権を与えたという。
だが、実のところ、明治五年十二月三日を新暦明治六年一月一日とした大きな理由は、明治政府が明治四年九月に採用した官吏の月給制度において、閏月の給与を払わないための窮余の策だったそうだ(
岡田芳朗『日本の暦』)。月給制度にしたときから、閏月の給料が必要なことくらい分かっていそうなものなんだろうけど、そこまで考えが及ばなかったのか。そうだとすれば、年金問題と同じく、日本の政治は今も昔もぜんぜん変わっていないと思う次第。
明治十二年二月の暦。本日と同じ二月八日に「ヤマシロ大原野祭」と記されているが、これは拙宅からもそう遠くない京都市西京区大原野にある大原野神社の例祭であろう。創建延暦三年だとか。
《仁寿元年(851)始めて勅祭がな行われ、春秋二季を例典とされました。はじめ藤原氏の一族では女が生まれると、中宮や皇后になれるように、この社に祈り、幸にして女が祈願通りの地位につくと美くしく行列を整えて参拝することが例となり、なかでも寛弘2年(1005)3月8日に中宮彰子が本社に行啓、御父左大臣藤原道長、紫式部以下がお供をした、その行列の絢爛さは、人々の眼をみはらせたと云われています。》(同社HPより)