「諸国風物 神社篇 意匠絵葉書交換会」の募集葉書。写真は広げたところ。二つ折りにすれば葉書大。合わせ目を小型の千社札のようなもので封じていた形跡がある。切手は一九二六年七月五日発行の富士山・二銭。募集の規定はなかなか厳しい。
《一、著名なる神社の印影を現し、そのお宮に因みたる(由来、伝説、行事、お祭、宝物等)絵葉書を製作の事
一、木版手摺に限る。粗悪なものは御断りします。
一、会費 一円二十銭。申し込みと同時に御払込を願ひます。払込無きものは整理上登録致しませんから後日の責任も持ちません。
一、万一当日までに作品不着の場合及び乱作のものは目録名簿より除名します。(此の場合は会費は返金せず。)》
消印は昭和八年九月二十日で申し込み締め切りが九月二十五日、しかも宛先は台湾台中である。《兼ねて、予告しておきました》とあるにしても急な感じはする。何かの参考までに送付したのかもしれない(?)。宛名の緒方吾一郎は台北帝国大学付属図書館の初代館長田中長三郎(1885〜1976)のペンネーム。田中は台湾日日新報社の社長河村徹らと昭和八年に「台湾愛書会」を作り、機関誌『愛書』を発行したそうだ(「第 9 回名古屋大学博物館企画展記録 本に貼られた小さな美の世界 蔵書票」で検索)。
送り主の二葉会・芳本倉太郎は明治三十二年九月二十三日大阪船場瓦町生まれ。雅号を倉多楼。文具や小間物を商っていたが、家業はもっぱら夫人任せで、切手・コイン・メダルの蒐集、各種玩具、宝船、木版葉書の創作交換、スタンプなどの趣味三昧に生きた。昭和初期に粋人たちが寄り集まって作っていた趣味の会のほとんどに名を連ねているという。「よしもと」では吉本興業と混同するので皆からは「よしくらはん」と呼ばれていた。(『藤原せいけんの大阪』創元社、一九九五年より)